先見日記

先見日記とは 先見リメ[ス

2006 Aug 7
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ご挨拶
普通ではない場所から

 いまから約30年ほどまえ、「ニューカラー」と呼ばれる一連の写真作品が、アメリカでセンセーショナルな注目を浴びました。それまでは商業広告やファッションでしか用いられることのなかった大型のビューカメラとカラーフィルムを使って、写真家たちはアメリカの何気ない日常を切り取ったのです。
 それらはいずれも、見慣れてしまって何も感じなくなっているか、あるいは見向きもされない光景ばかりでした。廃車が積み重ねられたジャンクヤード、郊外の巨大なスーパーマーケット、昼下がりの安食堂、そして荒地に忽然とひろがる中古車センター……。アメリカの産業や消費文化が生んだ、負の余剰といっても構わないものばかりです。

 写真家たちはなぜ、そのような冴えない光景を執拗に追い、高価で高性能の機材を用いて撮影を試みたのでしょうか。まず最初に考えられる理由は、平凡だと思いこんでいるものをじっと見る、という発見の行為です。頭で判断や分析を下すよりも先に目が反応してしまうもの、風景としては美的な意味がないにもかかわらず、いつまでも気になって仕方がないもの。写真家たちはやがて、自分なりの方法でそこに共通点があることを仮説として見出し、それを検証したり実証してみたりするために、ひとりで担ぐには無理があるほどの大型カメラに可能性を賭けることになります。
 主観的に考えるということをしないカメラは、そこにあるがままのものを、肉眼では捉えられない精度をもって映し出しました。長時間の露光は時間を止め、可能なかぎり絞られた微細な光は隅ずみまで光景をさらし出し、色彩はまさにアメリカ文化を象徴するものでした。そして見慣れたものを再度見せつけられることになった人たちは、そこにいいようのない懐かしさと、自分の国はこうであっただろうかという違和感の両方を、矛盾したまま感じさせられることになったのです。しかもその矛盾は、ある種の快感といってもいいものでした。

 そんなニューカラーの旗手として、スティーブン・ショアーという写真家がいます。アメリカの素顔を収めた写真集として有名な『The Americans』に触発された彼は、作者であるロバート・フランクの軌跡をそのまま追うように全米を車で旅し、行く先々での何気ないショットを、ローライ35という小さなカメラで拾っていきます。その旅で確信を得たショアーは翌年にカメラを大判のものに持ち替え、記憶を克明にたどるように平凡な日常の光景を数年かけて撮影していきました。
 それらの写真は82年に『Uncommon Places』として発表されました。「普通ではない場所」という、逆説的なタイトルです。この写真集を見ると、彼はほとんど都会の光景を撮ってはいません。刺激に満ち溢れているからでしょうか、それともどこへレンズを向けてもそれなりにストーリーが映ってしまう場所を、意図して避けたのでしょうか。日々めまぐるしく変わるものに彼は目を向けず、およそストーリーには成りづらいような光景のなかに、何かを探し出そうとしています。

 都心の磁力を充分に受けていながら、造成された宅地にマンションや住居の建ち並ぶ郊外に生まれ育った僕は、ショアーの写真を見ると懐かしさを感じます。「こんなところには何もない」と、多くの人に思われる場所が僕にとっては故郷であり、平坦で陰影に乏しい日常のすき間には、普段は声を与えられることのない物語が潜んでいます。
 意味がないと思われがちな光景に目を向けることは、はたして先見になるでしょうか。先も後もなく、郊外の生活は僕にとってはいつもの日常ですが、その何もないような場所から日記を始めてみたいと思っています。

End

















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