先見日記

先見日記とは 先見リメ[ス

2007 Dec 24
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ノートブック
横浜郊外の仕事場にて

 今年もモレスキン社製の横罫ノートブックを、ほぼ1冊使い切った。財布や電話と一緒に持ち歩けるように、サイズはポーチに入る小型のものだ。これが身近にないと、やや落ち着かなくなるくらいに僕はノートブックに依存しており、何かが閃くとそれを忘れてしまわないうちに、急いで紙面に書きつける。キーワードのような単語のときもあれば、アイデアが広がるままに、数ページにわたって展開されるときもある。原稿を書くときはパソコンを使うけれど、その基となるアイデアを組み上げていくときは、どうしても手書きでなければ駄目だ。

 なぜ最初の段階で手を使うのか、自分のなかでは理由ははっきりとしている。原稿を書くときに準備もなくパソコンの画面に向かったのでは、せいぜい自分の小さな内面くらいしか出てこないからだ。そんなものを縦に掘りこんでいっても意味はなく、まずは手で基になるものを書いて自分の字を目で見ることで、初めて書く内容に対して責任と手応えを持つことができる。科学的なことはわからないけれど、パソコンの画面に現れる活字から受けるフィードバックと、ボールペンで紙に描かれる直筆から受けるフィードバックとでは、そのときの脳の使い方が異なっているように思えて仕方がない。

 そのような話を知人の建築家に向けてみたところ、彼からも似たような反応が返ってきた。時間の節約と便利さのために普段はCADを使っていても、最初の段階ではまず画用紙にフリーハンドで設計図を描いて、それをもういちどドラフターで起こしてみないことには、イメージが豊かに広がらないという。手を用いながら二次元の図面を何枚も描き直すことで、三次元に立ち上がった様子を彼は繰り返し想像しているのだ。その過程を省略して最初からCADのコンピュータ・ソフトに頼ってしまうと、二次元から三次元へ飛躍させる際の苦悩のなかにある複雑な要素が、すべて吹き飛んで味気ないものしか出てこなくなるとも彼は言った。

 今年のノートブックに書かれた自分の字を、僕は最初のページから見ていってみた。小説の登場人物の性格づけが何度にもわたって変更されていたり、その人物ならこのような発言をするだろうという閃きが鍵括弧でくくられていたり、小説の進むべき方向性が様々な角度から検討されていたりした。一見したところ無駄にも思える他愛のない内容だが、手を使う作業を通して自分のなかで膨らんだイメージや人物の造型は、完成品となったときに微妙な温もりや真実味といったものをもたらしてくれるはずだ。

 新品のときにはどこかよそよそしかったノートブックには手垢がつき、紙質はやわらかく捲りやすいものとなっていた。今年もまたお世話になったのだという感謝の気持ちをこめて紙面を閉じ、来年からはまた新しい文字が書きこまれてゆく。

End

















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