2014年6月12日

株式会社NTTデータ経営研究所 公共行政サービスコンサルティングユニット シニアコンサルタント
木村 有紀

農業は、タイの国民経済を支える主要な産業の一つである。経済新興国としての存在感が定着してきたとはいえ、国民の4割は農業に従事しており、ここ10年、農業の付加価値はGDPの成長と共に上昇を続けている。農産物加工品の輸出を伸ばす一方、灌漑システム等のインフラの未整備に加えて零細農家が多いという構造的な問題を抱え、生産性はそれほど高くない。本稿では、ICTを活用して生産性の向上を目指す取り組みを紹介する。

1.タイの農業概況

1.1 タイの農業の概要

伝統的農業の基盤の上に付加価値化

タイは、国土の中央を流れるチャオプラヤ川の肥沃なデルタ地帯を中心として、伝統的に農業を経済の基盤として発展してきた。同国の農地面積は国土面積の4割、約21万平方キロであり、日本の農地面積の4.6倍に相当する。広大な面積、平坦な土地、低賃金であることがタイの農業に優位性をもたらしている。

主要な生産品目は、輸出振興対象として米、エビ、鶏肉、ゴムなど、また国内消費対象としてキャッサバ、サトウキビ、果樹などがある。北東部や北部では稲作が中心であり、南部ではゴムや果樹の生産が中心である。

1980年代以降急速に進んだ工業化により、今では経済新興国として、またASEANのリーダーとしての存在感がすっかり定着した。今では一人当たりの国内総生産(GDP)がUS$5,000を超え、上位中所得国となっているが、国民の4割は農業に従事しており、農業は依然として国民経済を支える主要な産業の一つである。農業部門のGDP比、農地面積、農業雇用、農村人口など、各種の農業関連の指標は、所得の低い他のASEAN諸国と比べても高く、タイにおける農業の重要性が高いことがうかがわれる(表1)。

【図】

表1:ASEAN諸国における農業関連の主要指標
出典:人口:Selected Key Indicators, ASEAN Statistics 2014, 2012年値。その他の指標は世界銀行データバンクを基に作成。農地面積が2011年値である以外は2012年値

GDPに占める農業の割合は1960年代には3割を占めていたが、1980年代以降に工業化が急速に進んだことを受け、長期的にみて低下傾向にある。しかし、1993年に8.7%まで低下した後は安定してやや上昇し、2012年には12.3%となっている(図1)。

GDPは、1998年のアジア通貨危機の後、2003年以降回復に転じ、2012年までに2.5倍もの急激な伸びを見せている。それにもかかわらず、この間、農業の対GDP比が安定しているということは、農業の付加価値がGDPの伸びに匹敵するレベルで上昇していることを示している。

【図】

図1:タイの一人当たりGDPと農業の付加価値(対GDP)比の推移
出典:世界銀行データバンクを基に作成

これには農産物価格の世界的な上昇、中国における需要の増加など幾つかの要因があるが、90年代以降、タイの農業が従来の一次産品を生産するだけの農業から一次産品を加工して付加価値を高めて輸出する農業への転換に成功したことも一因である。FAOSTATによると、現在、タイの輸出農産物は、従来からの主要産品であるゴムや米のほか、鶏肉の缶詰や精製糖等の加工品が上位に入っている。

1.2 タイの農業の課題

インフラの不備と零細農家による構造的な低生産性

農業国であるタイの課題は、生産性が低いことである。タイの主要な農産物である米について、1ヘクタール当たりの生産高を世界の5大生産国(中国、インド、インドネシア、タイ、ベトナム)間で比較した図を下に示す。1980年には、タイはベトナムやインドと同水準の生産性であったが、近年では両国に追い抜かれ、ベトナムには大きな差をつけられてしまった。

【図】

図2:米の生産性(単位:100g/ヘクタール)
出典:FAOSTATを基に作成

面積当たりの生産高が低い理由は、ひとつには、灌漑システムがいきわたっていないためと指摘されている。タイでは雨期と乾期が明確で、降水量の年変動も激しい。タイは高温多湿のイメージがあり、確かに中部平原では米の二期作や二年五作が可能である。しかし、東北部では雨量が少なく、乾燥している。安定した水量を供給できる灌漑設備があるのは国内の農地の2割程度にすぎず、降水量に乏しい東北部では農地の86%が完全に天雨に依存する。農業生産は天候次第で不安定である。

10年に1度、実施されている農業センサスによると、農家一戸当たりの平均農地保有面積は約19.8ライ注1(3.17ヘクタール)であり、日本(2.39ヘクタール注2)とほぼ同じ程度である。39ライ(6.24ヘクタール)以下の農家は全体の88%を占める。タイの農業生産は小規模な零細農家に支えられており、大規模な企業経営型の農業は一般的ではない。小区画の農地では機械の導入も困難であり、高い生産性は望めない。

また、85%の農家は初等教育しか受けておらず、教育レベルの低さも指摘されている。零細農家は市場概況の知識や情報に乏しく、バイヤーに対する交渉力が劣る場合が多い。農産物のサプライチェーン全体をみると、市場への供給量や市場価格の情報を生産者が持たないがために生産・出荷調整ができず、農産物の価格が下落したり、保管コストが発生したりしてしまう。コストを下げるには仲介者を排除して直接契約をするのが常套手段であるが、タイにおける契約農家は5%以下で、大規模経営農家にほぼ限定されている。

このように、タイの農業は、灌漑システムの不備というインフラの問題、および零細農家が多いという構造的な問題を抱えている。このうち後者について、ICTを活用して農家の能力向上を支援しようという試みが始まりつつある。

参考

2.タイにおけるICT利活用の現状

2.1 タイにおけるICT国家戦略

スマート・タイランド2020

タイのICT国家戦略の基本政策は「ICT2020」である。これは2011~2020年の10カ年を対象としたICT開発や振興政策の基本枠組みである。2020年までにASEAN経済圏を含むアジア諸国が世界経済の中のパワーハウスとして成長することを見据えて策定されている。

最終目標は、ICTの活用により知識と知性を備えた社会「スマート・タイランド」の実現である。ICTの活用を通じて産業を強化し、社会の公平性を担保し、環境にやさしい社会を築くという方針である。

農業は、「ICT2020」の中でサービス産業、医療、教育、環境とならんで5つの重点分野の一つに挙げられている。

【図】

図3:ICT2020フレームワーク
出典:Thailand Ministry of Science and Technology et al.(2011)ICT2020を基に作成

スマート農業へ向けた取り組みとして、以下が掲げられている。

  • 農家にとって使いやすいICTを活用したイノベーションにより生産性を高める。例えば、オートメーション化、センサーネットワークを用いた電子農業(e-agriculture)、予測機能を搭載したGISなどが想定される。農業組合を強化し、小規模農家や若い農家がICTの基礎を身につける。ICTの活用により農業の効率性を高める研究開発を促進する。
  • 輸出競争性の強化に向けて、品質管理および製品基準の効率性を高める。全ての関係省庁から農業関連データを一元的に集約する全国的な農業情報システムを構築する。農産物のIDシステムを構築し、これを生産、意思決定、資源配分計画、トレーサビリティ、輸出のすべてに活用する。貿易に必要な電子証明システムを構築する。
  • リスク軽減手法に関する研究開発を促進し、リスク管理システムを構築する。
  • 農家に有益な情報をオンデマンドで提供するナレッジ管理システムを構築する。農家が情報交換できるオンラインコミュニティを形成する。

このように、タイ政府はICTを用いた農業の高度化に向けた方針を掲げている。

2.2 ICT利活用の現状

急速に普及する携帯電話、普及途上のインターネット

ITUの調査によると、タイにおける携帯電話契約者数は2012年末時点で8,500万件を超え、普及率は127%に達している。一方、インターネットユーザー数は約1,864万人、インターネット普及率は26.5%である。ブロードバンド加入者数は約544万人で、普及率は8.2%にとどまっている。

【図】

図4:ICT利活用の状況
出典:ITU Statisticsを基に作成

これらの統計値は全国値であるが、都市部と農村、あるいは所得層間でのデジタルディバイドが存在し、農家におけるICT利活用が全国値より低いことが想定される。アジアのICTシンクタンクLIRNEasiaが行ったタイの小規模農家・農業法人におけるITC利活用の実態調査注3によると、コンピューター保有率は2割程度であり、インターネットを利用している農家はなく、17%の農家にいたってはインターネットが何か知らないという回答だった。ただし、携帯電話については農家の87%、農業法人の97%が保有しており、全国値よりは低いものの、浸透していた。

これらの調査結果から、タイの農家にICTを活用してもらうには、コンピューターやインターネットベースではなく、携帯電話をベースとした取り組みが必要なことが分かる。

【図】

表2:小規模農家・農業法人のICT利活用の状況
出典:LIRNEasia(2011)

それでは農家は、どのような情報を必要としているのであろうか。農作業を6つの工程に分け、各工程において農家の情報ニーズを調査した結果を下に示す。最も情報ニーズが高いのは、作物の成長段階における肥料や殺虫剤・除草剤の情報、あるいは作物の病気に関する情報である。意思決定から定植までの農作業の前半の工程においては水の状況が、収穫から販売の後半の工程においてはバイヤーの情報や交通情報を知りたいというニーズが高くなることがわかる。

【図】

表3:タイの小規模農家・農業法人の情報ニーズ
出典:LIRNEasia(2011)

3.農業におけるICT利活用の取り組み

3.1 スマート農業の政府の取り組み

ALRO Cyber Brainプロジェクト

タイ農業・協同組合省の農地改良事務所(Agricultural Land Reform Office:ALRO)は、タイ国立電子コンピューター技術センターと協力し、ICTを活用して農業の生産性および作物の品質を高めるスマート農場を推進している。「ALRO Cyber Brainプロジェクト」では米の栽培方法に関するナレッジ管理や市場価格情報の提供、農家や農村の子どもたちへのICT教育などさまざまなICTの活用・普及が試みられている。

プロジェクトの1つに、農地の状態に応じた最適な肥料配合を提案する「1-2-3パーソナル肥料」サービスがある。前述の通り、肥料に関する情報は、農家のニーズが最も高い情報である。このサービスは、次のような流れで提供されている。

  1. 1.農家は、連絡先、農地の土壌、作物について、ウェブ上から登録する
  2. 2.提供されたセンサーを使って土壌中の窒素、リン、カリウムを測定する
  3. 3.測定結果を携帯電話のショートメッセージで送付する
  4. 4.最適な肥料の配合が計算され、その結果が即座に携帯電話のメッセージで送付される

上記3.のショートメッセージは、窒素、リン、カリウムの順に、土壌中の濃度を示す数字をタイプするだけである。最も低い濃度レベルを1、最も高いレベルを4とする4段階で表しており、例えばメールで「223」と打てば、「窒素2レベル、リン2レベル、カリウム3レベル」という意味となる(図5右上)。タイプミスを避けることができ、農家にとっても使いやすい工夫がされている。

上記4.では、例えば「肥料の配合は窒素4kg/ライ、リン4kg/ライ、カリウム2kg/ライ」「第一回の施肥は4kg/ライ、第二回は...」というメッセージが携帯電話に送付される(図5右下)。

【画面イメージ】

図5:ALRO Cyber Brainプロジェクト「1-2-3 パーソナル肥料」サービス
出典:Sriswasdi et al.(2008)を基に作成(左:オンライン登録画面、右上:携帯電話のメッセージ送付画面、右下:携帯電話のメッセージ受領画面)

プロジェクトに取り組んでいる農地改良事務所(ALRO)は広大な水田を保有することから、この試みは大規模に展開できる可能性がある。しかし、タイにおいてはコンピューターおよびインターネットの利用率が低いことを踏まえると、最初にオンライン登録が必要なことが普及していく上で課題になるだろう。

3.2 スマート農業の民間の取り組み

Farmer Information Superhighway

携帯事業を展開する民間事業者dtacは、サービスの一環として農家を対象としたSMSサービス「*1677 Farmer Information Superhighway」を行っている。携帯電話を契約した農家が*1677に電話すると、農業に関する情報を無料で1日に4つから6つ、テキストメッセージで受け取れるというサービスである。特定の質問があれば、電話で質問して、専門家が電話あるいはテキストメッセージで答えてくれる。この取り組みにはラジオ局も参加しており、番組内の相談コーナーに質問をして、専門家に答えてもらうこともできる。

この情報提供サービスは、米、穀物、果樹、野菜、畜産、漁業、と幅広い分野に対応している。農家の知識を高めて農業スキルを向上させ、農業の生産性の向上、コスト削減、収入の向上といったメリットが期待される。

2008年のサービス開始時には、dtacと協力会社2社(Rak Ban Kerd 財団および Ruam Duay Chuay Kan DFMラジオ局)でスタートしたが、今では協力パートナーは40にも上っている。サービス契約数も4万件から20万件に伸びた。サービス利用の効果としては、化学肥料からバイオ肥料への切り替えにより、15,000バーツかかっていた費用が4,700バーツまでに削減できた一方、作物の生産量は上がった、という成功事例が報告されている。

最近では、iPhoneやAndroidスマートフォンに対応するアプリとして「Farmer Info」を展開している。作物の栽培方法アドバイスを動画で提供したり、バンコクの主要市場における価格を比較できるサービスを提供して栽培する作物や販売する市場の決定を支援している。

参考(出典)

4.今後の課題

タイ政府は、ICT国家戦略のプログラムの1つとして、ICTを活用した農業の高度化を推進している。全国規模の農業情報システムやトレーサビリティ電子証明システム等の構築も視野に入れており、これらは国際市場での競争性を高める上で必要な投資といえるだろう。

もっとも、農業の生産性の向上という点では、政府の管理能力のみならず、生産者の能力向上が重要である。タイの農業は多くの零細農家に支えられており、コンピューターやインターネットを活用できる農家は稀である。国全体でもブロードバンド普及率が1割に満たない実態を踏まえると、政府のICT戦略とユーザー側の実態が大きくかい離していることは否めない。

好調な経済状況を受けて、政府による国家規模のシステム整備はある程度の進捗が期待される。その一方で、民間主導による携帯ベースでの生産者の能力向上支援が進むという二層構造が予想される。政府が掲げるスマート農業プロジェクトが生産者側を如何に広く取り込んでいくかが今後の課題といえそうだ。

本稿は、2014年5月初旬時点での情報に基づきます。

注釈

  • 注1ライは、タイの面積単位。1ライ=1600平方メートル。
  • 注2平成25年農業構造動態調査、農林水産省統計部。
  • 注3過去3カ月に電話を使用した15~60歳の中~低所得者を母集団とするインタビュー調査。抽出条件は、5エーカー以下の農地で農業に従事し、その作物を販売する農家および従業員10人未満の農業法人。サンプル数N=200。