2020.11.9特集

「オープンイノベーション」の体現者、ダ・ヴィンチ

14世紀の欧州で多くの人々が犠牲になったペスト禍。この恐怖を乗り越え、華々しいルネサンス時代は訪れた。現在、私たちが直面しているコロナ禍を克服し、ルネサンスのように希望あふれる新しい時代をつくっていくためには、これまでの常識にとらわれない未来像をデザインし、その実現に向けて行動できる「トップアーキテクト」や「アーキテクト」の存在が鍵となる。
第1回では、あるべき未来をデザインする力と、それを実現していく力を兼ね備えた人物がトップアーキテクトであると定義した。しかし、トップアーキテクトやアーキテクトにとって大切な素質は他にもある。既存の枠組みにとらわれない発想をするための分野を超えた多様な知識、そして仲間たちとの協力、すなわち「オープンイノベーション」の精神だ。
イタリア・ルネサンスのトップアーキテクトであったレオナルド・ダ・ヴィンチも、そうした精神を持ち合わせている人物であった。

ダ・ヴィンチの才能を開花させたルネサンスの環境

第1回でも触れたように、ルネサンスは、14世紀の欧州で大流行したペストをきっかけに、教会と封建領主という2つの権力が失墜したことにより訪れた時代であると考えられている。ただし、当時の教会の影響力低下には、13世紀の十字軍の遠征失敗に端を発するローマ教会の混乱なども関係しており、ペストの流行によって社会が抱えていた不満や問題点がより浮き彫りになったという見方もできる。

また、イタリアでのルネサンス繁栄には、この他にもさまざまな出来事が影響しているとされる。例えば、1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープルの陥落、すなわちビザンツ帝国の滅亡だ。これを機に、ギリシアの学者たちによって、ユークリッドやプラトン、アリストテレスら古代ギリシア・ローマの叡智が持ち込まれたことで、当時のイタリアは、ダ・ヴィンチをはじめ多くの知識人たちの知的好奇心や創造力をより掻き立てるような環境にあったといえる。

さらに、ダ・ヴィンチが青年期を過ごしたフィレンツェでは当時、技術やデザイン、化学、商業などの組み合わせで成り立つ繊維産業が栄えており、画家、絹職人、商人らが連携して芸術的な織物を生み出していた。このため、ルネサンスには、異分野のアイディアや、幅広い分野を融合させる能力が重んじられる風土もあった。

権威や伝統に固執することなく健全な批判精神を持ち、さまざまな分野の知を結集し、理想の実現に向けて進化させていく——こうしたダ・ヴィンチの才能を存分に発揮できる土台が、ルネサンスでは整っていたのだ。

これは、ダ・ヴィンチの手稿にも現れている。

分野横断で専門家たちとの議論・共同作業を楽しんだダ・ヴィンチ

ダ・ヴィンチはその生涯で1万枚を超える手稿を遺しており、そのうち約5000枚が現存すると考えられているが、内容は、都市のあり方から、聖堂の素描、解剖学の知見、戯曲の構成・衣装デザイン・大道具の仕掛けのアイディアまで、実にさまざまだ。

さらに手稿には、今でいう「ToDoリスト」のようなものも見られる。なかでも「算術の専門家に三角形から正方形を切り出す方法を教えてもらう」「ブレーラ修道士に『デ・ポンデリブス』(中世の力学についての書)について訊く」「水力学の専門家を見つけて、ロンバルディア流の閘門、運河、水車の修復方法を尋ねる」といったようなメモからは、他分野や他業種の専門家と交流することを好み、そこでの議論から新たな知見を得ることに対して非常に積極的だった様子が見て取れる。

このように多くの専門家と意見交換や共同作業をすることで、自分の理想を実現させようとしていたダ・ヴィンチ。当時のルネサンスの環境を活かして、「オープンイノベーション」を起こすことのできる精神が備わった人物だったといえるのではないだろうか。

ダ・ヴィンチがオープンイノベーションの精神を持ち合わせていたことを示すエピソードは他にもある。

ダ・ヴィンチは1466年から1477年に渡って、師匠であったフィレンツェの芸術家ヴェロッキオの工房で過ごした。ボッティチェッリやギルランダイオといった画家たちとの出会いをもたらしたこの工房では、芸術だけでなく、数学から解剖学、哲学まで、多岐に渡るテーマに対して日々議論が行われていた。もちろん、ダ・ヴィンチもこの議論に参加し、さまざまな分野の知に触れることを楽しんでいた。

1490年代後半、ダ・ヴィンチがミラノ宮廷に仕えていた頃には、複式簿記を広めたとされる数学者ルカ・パチョーリとの交流もあり、彼の著書『デヴィナ(神聖比例論)』に正多面体の挿絵を提供している。

またミラノ宮廷では、建築家ブラマンテとの出会いもあった。二人は教会の設計や舞台制作などで協力しているほか、ブラマンテが、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会付属修道院の食堂増築をミラノ公より命じられた際、その壁画としてダ・ヴィンチは『最後の晩餐』を制作することとなった。お互いに刺激を与えあえるような存在だったのだろう。ブラマンテが描いたヘラクレイトスとデモクリトスのフレスコ画は、ブラマンテの自画像とダ・ヴィンチをモデルにしているといわれている。

企業・業界の垣根を超えて新しい社会をつくっていくために

現在のコロナ禍が収束を迎えた後、果たしてルネサンスのような輝かしい時代はやってくるのだろうか。ここで、ルネサンスと現在の類似点を比較しながら考えてみたい。

14世紀のペスト流行によって教会の影響力低下が顕になったように、コロナ禍は、各業界におけるIT化や働き方改革の遅れ、サプライチェーンの脆弱性といった、現代社会にもともと存在していたリスクや課題を改めて浮き彫りにした。一方で、コロナ禍を受け、業務や社会インフラのオンライン化・デジタル化がより一層進み、さまざまなデータが取得・蓄積されるようになりつつある。

ルネサンス期のイタリアにおいては、知識人や書物などの「知」が集結し、醸成され、グーテンベルクが発明した活版印刷技術によって世界へと広く普及していった。翻って現代の私たちは、新たな「知」につながる「データ」を手にしている。歴史に鑑みると、これを収集・活用することで、目の前の課題を解決するだけでなく、新たな価値を創出し、これまでにない世界をつくりあげていくことができるのではないだろうか。それをリードするのは、トップアーキテクトの役割である。

さらに、現在多くの企業に求められている「オープンイノベーション」は、専門分野や業界を超えた経験や知見の掛け合わせが重要となる。これはまさに、ダ・ヴィンチが体現していたことである。理想の実現に向けて、自身の立ち位置にこだわらず、他者の力をも借りるという姿勢が、これからの時代を牽引するトップアーキテクトやアーキテクトにも必須となるだろう。

NTTデータは設立以来、公共分野のシステムだけでなく、金融、製造、通信をはじめとする法人向けのシステムなど、さまざまな分野のビジネス変革をITの力で支えてきた経験やノウハウを蓄積してきた。これらを結集し、分野や業界を超えたあらゆる視点から社会を見つめ、あるべき姿を描き、その実現を目指している。
新たな社会を実現していくには、教育、医療、リテールに加えて、交通、サプライチェーン、自治体、工場など各種領域のシステムおよびデータ、さらには経済や環境、人々の健康に至るまで、構成するさまざまな要素を俯瞰的に捉えて、あるべき姿をデザインしていかなければならない。その時に重要となるのは、競合他社やベンチャー企業までもが一丸となり、それぞれの技術や経験を分野や業界の垣根を超えて共有・活用していくという考え方だ。
一企業だけの力で、社会全体をより良い姿へと変えていくことは不可能だ。NTTデータも他企業との幅広い連携や、さまざまなコミュニティー活動への参画を積極的に進めていこうとしている。ダ・ヴィンチが持っていたオープンイノベーションの精神が今、現代のアーキテクトたちに求められているのである。

参考文献

ウォルター・アイザックソン著、土方奈美翻訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ 上・下』(文藝春秋、2019年)
池上英洋著『レオナルド・ダ・ヴィンチ:生涯と芸術のすべて』(筑摩書房、2019年)
長尾重武著『建築家レオナルド・ダ・ヴィンチ―ルネッサンス期の理想都市像』(中央公論社、1994年)

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