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ITは健康増進の枠を超え、医療行為そのものの役割を担い始めた。常時診断を可能にする個人用デバイスの普及が、医療への人・企業の関わり方に変革をもたらす。さらに遺伝子、脳領域へのIT介入が、生命課題への挑戦を本格化させる。

医療の役割を担い始めたIT

2018年9月、Apple Watch Series4が発売された。今回のアップデートは、処理速度の向上等の性能改善だけでなく、医療において大きな意味を持つ。それは心拍センサの進化により心電図測定と不整脈検知の機能が米国食品医薬品局(FDA)の認可を得ており、ユーザ自身で医療機器レベルのモニタリングが可能になるからだ。心電図の測定は、これまでは心臓の動きに変調をきたしたときに病院に行き計測するか、後日、ホルター心電計を装着し計測する必要があり、そのときには症状が再現しないこともある。それが心拍の異変を検知したそのときに自身で計測可能になるのだ。

他にも皮膚電位を計測することによって、てんかん発作を検知可能なスマートウォッチがFDAから医療機器として認可を受けている。このように特定の症状については、個人用デバイスで常時モニタリングによる検知が可能になってきている。また、日常生活でのデバイスの利用が増加することで、身体の異常発生時だけでなく、正常時を含めた活動記録や生体情報を継続的に蓄積できるようになる。このデータをもとに個人の特性に合わせた異常の把握が可能になり、検知精度の向上が期待できる。近い将来、異常をきたす要因が特定され、デバイスでの予兆検知も可能になるだろう。

次世代医療を見据えた変革

個人用デバイスだけでなく、病院内で使用する診断装置においても大きな変化が起き始めている。これまでAIは医師の診断支援には活用されていたが、2018年4月ついに医師不要でAIによって診断する装置の販売認可をFDAが初めて与えた。このAIは糖尿病網膜症の診断を行うもので、網膜症と判定された際には専門医の診断を、判定されなかった場合は1年以内の再検査を勧められる。このように最終的な診断の確定には医師が必要となるものの、このFDAの判断は医療におけるAIの役割を大きく変える出来事だと言える。今後AIのみでの診断を可能とする装置は増加し、医師の役割、医療の在り方に変革をもたらすだろう。

2017年、FDAはPre-Certパイロットプログラム(Digital Health Software Precertification Pilot Program)を立ち上げた。これは医療用ソフトウェアが増加する中、機能が更新される度に審査することは非効率なため、デジタル時代に合わせた審査の仕組みを整備するためのものだ。具体的には、個々の医療用ソフトウェアを審査・承認するのではなく、それを開発する企業を先に認定しておくことで、FDAに提出すべき情報を簡素化し、審査を効率化する。この流れは臨床領域へのIT企業の参入を拡大させ、医療へのITの影響力をより一層拡大させていくだろう。

期待が高まるデジタル治療薬

世界の認知症患者数は2018年時点で5000万人と推定され、2050年には1億5200万人に達すると予測されている※1。しかし、2018年、大手製薬会社が認知症治療薬の開発から相次いで撤退を発表した。この要因の一つに、認知症は長い年月をかけて進行していくため、数十年単位の治験期間が必要となることが挙げられる。また、薬の効果を評価するための客観的な定量指標が存在せず、医師による問診を中心とするコミュニケーションによる評価が必要なことも、開発が進まない要因となっている。

このような中、新たなアプローチとして注目されているのがデジタル治療薬だ。これはソフトウェアとデバイスで実現される非薬物治療薬である。根本的な治療方法は確立されていない認知症だが、過去の体験や思い出に触れることで、進行を遅らせる対症療法は存在する。そこで、記憶しておくべき人、場所、モノ、日々の生活におけるルーチンワークをデジタルデータとして蓄積し簡単に取り出せるようにする仕組みが開発されている。過去の記憶に関する質問やゲームによって、患者の状態の自動モニタニング・評価が可能になる。認知症の6割以上を占めると言われているアルツハイマー病では、記憶自体は失われておらず、その記憶へアクセスできなくなっているだけという仮説が存在する。これが正しければ、過去の記憶を繰り返し見て訓練することで、記憶へのアクセスを回復できるかもしれない。従来の治療薬開発においても、治療効果の定量評価にこのデジタル化された仕組みを活用することで、開発加速とコスト低減をもたらすだろう。

また、ADHD(注意欠陥・多動性障害)に対して、ビデオゲームを利用したデジタル治療薬が開発されている。これはゲームを通じて感覚刺激や運動刺激を与えることで、知覚・視覚・同時遂行能力の3つの能力を改善するよう認知科学に基づいて設計されたゲームアプリだ。300人以上の子供を対象にした実験において、注意力が改善されたという結果が出ている。今後FDAに認可されれば、従来の薬と同様に患者に処方可能になる。

デジタル治療薬は、日常的に簡易に利用できるテクノロジーを利用することで、あらゆる場所・時間において、患者の疾患だけでなく生活習慣や意識への治療介入を可能にする。そのため、患者が積極的かつ継続的に治療を受けるようになるといったアドヒアランスの向上も期待できる。

また、デジタル治療薬は医療の発展にも寄与する可能性を秘めている。従来の治療では、病院で問診や検査を実施したときしか患者のデータを取得できない。一方、デジタル治療薬は、日々の生活の中での定常的な治療を実現し、治療を担うデバイスを通じて患者の治療への取組みに関するデータを医師に連携可能にする。データ蓄積が進めば、より効果の高い治療薬の実現が期待できる。また、ウェアラブルデバイスの活用が広がれば、様々な生体情報と組み合わせた分析も可能になる。それは予防、診断、治療が一体化された医療を実現し、社会的コストの抑制にも寄与していくだろう。

遺伝子、脳領域へのデジタル介入の拡大

デジタルの力は脳や遺伝子等の領域にも介入を拡大し、新たな医療技術を実現しつつある。その一つが脳情報を活用した治療だ。これまでも脳波の状態をモニタニングし脳のトレーニングを行うニューロフィードバックと呼ばれる方法で、ADHDやうつ病の治療が行われてきた。近年、脳波を測定可能な安価なヘッドセットの登場とスマートフォンの普及により、スマートフォンアプリでどこでもニューロフィードバックによる治療を受けることが可能になってきている。

また、難病の根本治療を実現する技術として期待されている遺伝子編集技術の診断への活用に期待が高まりつつある。血液や唾液、尿等から遺伝子編集技術を使って診断が可能になるかもしれないのだ。既にジカ熱、デング熱等の検出に成功している。使い捨ての試験紙のみですぐに診断でき、今後、様々な病気を低価格かつ迅速に診断可能になるかもしれない。

バイオテクノロジーとデジタル技術の融合により、診断や治療という枠を超え、身体の一部を作り出すことが可能になりつつある。細胞等の生体材料であるバイオインクを使って3Dプリンタで生きた組織や臓器を作製可能になってきているのだ。例えば、創傷を覆う皮膚組織層を形成する携帯型3Dプリンタが開発されており、火傷等の応急措置が必要な現場での利用が期待される。また、角膜を3Dプリントすることに成功した研究や、肺の3Dプリントに取組む企業も存在する。これらの実用化にはまだ時間がかかる見込みだが、将来的に臓器はすべて人工的に作ることが可能になり、ドナー不足の問題は解消されるかもしれない。

このように生命課題への挑戦は本格化している一方で、新たな問題が顕在化している。遺伝子編集ベビーの誕生は倫理面や安全面での様々な物議を呼んでいる。今後、予防のためではなく、身体能力や知能が優れた子供を作ろうとするようになれば、それは優生思想以外のなにものでもない。また、細菌やウィルスの改変によって、新たなバイオ兵器が生み出される可能性もある。倫理指針・原則の構築や脅威への対策等、新たな技術にどう向き合っていくかが、人類の生命課題解決の鍵を握っているのかもしれない。