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現実空間をITに取り込む技術が一般化した。物体の正確なサイズや位置関係が手元に再現されるばかりか、3Dで再構築された空間は入り込むことも出来る。さらに情報の付加や加工を施した空間の活用が、ビジネスを人々の概念を変えていく。

空間コンピューティングの登場

空間コンピューティングとは、コンピュータのもたらすメリットをディスプレイという限られた窓ではなく、人をとりまく空間で自由に利用する技術だ。CGがディスプレイではなく現実の空間に映し出される。それは見るためのCGではなく、空間を作り出すCGだ。コンピュータがもたらす情報を空間で活用する。人類が過去に経験したことがないこの技術のメリットは、体感なくしては理解しにくい。

空間コンピューティングはまだ初歩的な技術ではあるが、AR-HMDやスマートフォンで誰でも体験できる。現実に重ね合わされるのは簡易なCGだが、重要なのはそのCGが適切な場所に、適切な大きさで、現実の物体と同じようにそこにあることだ。周囲を見て回ることも、掴むこともできる。現実にあるモノの後ろに隠れれば見えなくなる。

この技術の代表的な用途は空間プランニングだ。大型機材の工場への搬入を事前に確認する場合、搬入経路・設置場所・作業スペースなどは、これまで平面の図面からイメージする、縮尺した模型で確認するといった方法しかなかった。空間コンピューティングならば、現実の工場に、CGで実物大の大型機材が表示される。担当者は工場内を歩き回り、あらゆる角度から目視で確認できる。手間の削減だけではなく、考慮漏れを防ぐメリットもあるのは明らかだ。

情報付加による作業支援もよく挙げられる事例だ。工業製品の生産現場で完成品の検査をする場合、確認すべき部位とその方法は傍らの手順書に記載されているシーンが普通だろう。作業者はその手順書と検査対象の現物を見比べながら作業に臨む。空間コンピューティングは検査のポイントも、使うべき工具の動かし方もCGでそのまま現物に合わせて明示する。確実な理解・ミスの低減・負担軽減などメリットは計り知れない。医療現場において、検査で得られた体内の画像を患者の身体に正確に重ねて表示する例でもその絶大な効果は想像できるだろう。

Real-Scaleデータの充実

空間コンピューティングを利用する際にキモとなるのは、現実空間とCGで表示する物体のサイズや位置の正確な情報、つまりReal-Scaleのデータだ。ここでは物体の寸法を示すReal-Scaleデータを3Dデータ、それが置かれる空間や位置を示すReal-Scaleデータを3Dマップと表現する。

物体や空間をデジタルに取り込むためには、大掛かりな専用の装置が必要だ。例えば人の精細な3Dデータは、マーカをつけた人が、カメラを慎重な位置決めで多数配置したドームのような施設に入り制作する。撮影された膨大な写真はデータ処理により合成され3Dデータが生成される。より小型の装置も開発されてはいるが、専門家が必要な作業であることに変わりはない。

しかしAIがここに圧倒的な手軽さを持ち込んだ。物体を写した数枚の写真から、機械学習を活用した物体推定技術が3Dデータを生成する。しかもすべてはスマートフォンで完結する。より少ない写真、より少ないカメラだけで高品質な3Dデータを構築する技術開発は、今やブームと言える盛り上がりだ。興隆するC2C取引、インターネット上のフリーマーケットで出品物を紹介する写真は誤魔化しようのない3Dデータに変わっていくだろう。

3Dマップ生成についても、ここ10年で急激に進展した低価格にして高精度なセンサにより手軽になりつつある。いくつかのHMDは、目の前の空間を3Dマップへ変換できる。現状、生成される3Dマップは簡単な線だけの粗いものだ。しかし、壁を認識し、部屋に置かれたモノの大きさと位置を把握するには十分だ。このように、3Dデータや3Dマップを個々人が手元で手軽に生成できる技術の登場が、空間コンピューティング普及の基礎になった。

また個々人が生み出す3D マップが、公共の3Dマップに統合される動きも想定される。自動運転に関わる企業は、走行する車が収集する詳細な道路情報をオープンな共有知として統合するプラットフォームの立ち上げを宣言している。同様に、個々人が街を歩く中で生み出していく3Dマップのピースを組み合わせてグローバルな3Dマップに成長させる動きも起こるだろう。細密化する衛星写真がそのベースとなる。ライドシェアロケットが多数送り出す民間衛星が、衛星写真の撮影密度や更新頻度を飛躍的に向上させる未来は近い。人々が行動する街の建物・歩道・街路樹・看板等の一つ一つのサイズや位置情報を持った3Dマップが精緻な衛星画像に貼り付けられていく。その3Dマップをもとに、目の前の街並みに進むべき方向が立体的に示され、飲食店の看板に評価や口コミが示される。地球上がReal-Scaleの3Dマップで覆われるにつれて、空間コンピューティングの価値も増していくのだ。

2つのRealの両立

さらに空間コンピューティングで、現実に融合されるCGが、Photo-Realレベルまでクオリティを高めれば、新たな利便性がもたらされる。体験を販売するサービスにPhoto-Realがもたらす価値は説明するまでもない。自宅にいながらPhoto-Realな試着が利用できれば、顧客は様々な場所や背景の中でその服を着た姿を確認できる。トレーニングでもエンタテイメントでも現実と見まがうリアルは常に追求される表現だ。

しかし、現状の空間コンピューティングはPhoto-Realにはほど遠い。現在の限られたコンピュータ性能では、空間コンピューティングに必須のReal-Time性がPhoto-Realより優先された結果だ。空間コンピューティングでは、空間を自由に動き回る人の頭の動き、視線の動きに追随して、一瞬の遅れもなくReal-TimeにCGを作り出し、現実に統合していく。この処理が遅延すれば、人は違和感に襲われ、酔うこともある。許容される遅延は一説には0.02秒以下だ。Real-Time性の優先が、現在の限られたコンピュータの能力では、画質の妥協を余儀なくするのだ。

この課題に対応するため、より強力なプロセッサがHMDに搭載できるサイズにまで小型化されるのを待つだけではなく、HMD側の処理を軽くする様々な技術が提案されている。Foveated Rendering(中心窩レンダリング)と呼ばれる、視線が向いた部分だけを高解像度で表示する技術は効果が高い。クラウドが生成したPhoto-Realな画像を極めて低遅延な5Gで転送するアイデアもある。Photo-RealをReal-Timeに両立させる技術の確立が、空間コンピューティングを次の段階に進めるのだ。

空間コンピューティングの拡大

ようやく第一歩を踏み出したに過ぎない空間コンピューティングではあるが、この技術への注目は高まる一方だ。開発コミュニティの熱量は極めて高い。研究所レベルの技術が民主化して数多くの開発者に渡り、様々なアイデアで急速に進化していく姿は、まさにデジタル時代の技術発展の在り方だ。SFで夢として語られてきた技術が目の前で具体化していく興奮が、多くの開発者を呼び寄せ、研究開発を加速させている。

デジタルビジネスを強力に推進する企業は、顧客体験を直接的に変革するこの技術に大いに注目している。数年をかけて空間コンピューティング技術をスマートフォンに標準搭載してみせた企業や、革新的なHMDを次々に発売する企業、クラウドとの綿密な連携を具体化する企業など、空間コンピューティングにより革新される顧客接点で先んじようとする企業の競争は激しさを増している。

人々の行動も変わるだろう。知りたいことを文字にしてスマートフォンで検索する時代が終わり、目線を送った先のモノや場所に情報が重なるように表示される未来がくるだろう。タブレットに慣れた幼児は、紙の本もフリックするという。見たモノに検索結果が表示されるのが当たり前の世界で生まれ育つ世代では、世界の見え方そのものが変わるのかもしれない。