NTTDATAグループカレンダー2024文献解説
受け継がれる世界の叡智―バチカン図書館―「未来を構想する知」
心を育む文学書、文明の発達に寄与する科学書、思考を深める哲学書など、人々はさまざまな書物によって見識を広げ、新たな一歩を踏み出す力とすることで社会の進歩を支えてきました。
そのような役割を担ったバチカン図書館所蔵の歴史的図書を紹介します。
長く読み継がれる書物が伝え続ける知が、未来の可能性を見出し、「未来を構想する力」を生み出す源泉となって、より豊かで調和のとれた社会の実現に貢献していることを表現しました。
1月
『モーセ五書』
15世紀頃 Urb.lat.1
『モーセ五書』は、『旧約聖書』の最初の5つの書である「創世記」、「出エジプト記」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」の総称で、天地創造からモーセの死までを綴っています。ここで取り上げた『モーセ五書』は、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(1422-1482)の依頼によって、フィレンツェのヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチの工房で制作された、全2巻からなる記念碑的なウルビーノ版聖書の一部です。15世紀を代表する芸術家たちの手によって美しい細密画が施され、聖ヒエロニュムス(342/347−419)によって原典のヘブライ語とギリシア語からラテン語に翻訳されたウルガータ聖書が収められています。ウルガータ聖書はそれまでの翻訳に取って代わり広範に普及し、カトリック教会によって公式に承認されました。
ヒエロニュムスは、ラテン教父、聖書学者、聖人として名高く、四大教父の一人でもあります。豊富な言語知識、古典への造詣などを礎に翻訳、著述を展開し、ヘブライやギリシアの文化の西方導入に努めました。
2月
マクロビウス『サトゥルナリア』
15世紀 Vat.lat.1543
アンブロシウス・テオドシウス・マクロビウスの生涯については、確かなことは知られていませんが、アフリカ生まれと推測され、410年にアフリカ総督を務めていたといわれています。新プラトン主義の影響を受け、シュンマクス、プラエテクスタトゥスなど優れた文化人との親交があったようです。新プラトン主義の立場から霊魂の死後の運命を論じ、中世のプラトン解釈に大きな影響を与えた哲学的著作『スキピオの夢についての注釈』全2巻、断簡が伝存する『ギリシア語とラテン語の差異と類似』などを著しました。
『サトゥルナリア』は、全7巻からなる著作です。サトゥルナリアとは、ローマの農耕神サトゥルヌスをたたえる古代ローマの祭典です。後に、キリストの生誕を祝うクリスマスの原型となったといわれています。本書は、この折に集まった哲学者や弁論家、文学者たちが言語、歴史、宗教、神話、批評など様々な主題について対話形式で論議するという体裁がとられています。中心となるのは、古代ローマの代表的詩人であるウェルギリウスをめぐる論議です。
3月
ボエティウス『算術教程』
9−11世紀 Arch.Cap.S.Pietro.H.36
アニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス(480頃−524頃)は、古代ローマ末期の哲学者、政治家です。ローマ貴族の名家出身で、東ゴートの王テオドリクスに仕え執政官などを務めました。しかし、東ローマ帝国と東ゴート王国との対立に巻き込まれ、東ローマ帝国に内通したという罪に問われて、幽閉、処刑されました。パヴィアの獄中で韻文と散文により綴られた『哲学の慰め』全5巻は、哲学の入門書として広く読み継がれ、9世紀にはアルフレッド大王により英語に翻訳されています。ボエティウスはこのほか、アリストテレスの全作品のラテン語への翻訳に取り組んでいましたが、未完のまま死を迎えました。その他にもポルピュリオスの作品の翻訳、アリストテレスの論理学の紹介をするなど、中世の思索の糧となる著作を残しました。
ボエティウスは、哲学研究の予備的教養として算術・音楽・幾何学・天文学を学ぶべきだとして、この4科の入門書を著したとされていますが、現在まで伝わっているのは『算術教程』全2巻と『音楽教程』全4巻の2著作です。『算術教程』は、後に大学となる中世の修道院の学校で教科書として学ばれました。本書は、古代ギリシアの数学者ニコマコスの著書をもとに執筆されました。そこでは比例理論を視野に入れた数論やピタゴラスの図形数などについて論述されています。
4月
トマス・アクィナス『神学大全』
15世紀 Vat.lat.746.pt.1
トマス・アクィナス(1225頃−1274)は、中世スコラ哲学を代表するイタリアの神学者、哲学者、聖人です。ローマとナポリの間に位置するロッカセッカで生まれ、5歳の頃修道院に送られました。ナポリ大学やケルンのドミニコ会学校でのアルベルトゥス・マグヌスの下での勉学を経て、パリ大学神学部教授に就任(1256-1259)、3年の任期を終えイタリアに帰りドミニコ会付属の学校で教授・著作活動に従事しました。1269年パリ大学教授に再就任し、1272年ドミニコ会の新しい神学研究院設立のためナポリに帰り、1274年旅の途上で帰らぬ人となりました。トマスは、過去の知的遺産を継承しつつ、「トマス的総合」と呼ばれる独創的な思想体系を打ち立て、後世にまで大きな影響を与えました。
トマスの多くの著作の中でも『神学大全』は、未完でありながら神学的観点から中世学問を集大成したと評される代表作です。同時に、大学の専門的教育を受けていないドミニコ会修道士のための神学入門書でもあります。本書は、神・創造論、倫理論、キリスト・秘跡論(未完)の3部構成です。2669個の「……であるか」という問いの形をとる項に対して、賛成説と反対説を列挙し、体系的な解釈を与えています。これは、中世の大学特有の授業形式である「討論」の特色を生かした論述形式です。本書は神学の簡潔な体系的解説書であると同時に、知の探究を進めた新鮮な著作です。
5月
ウェルギリウス『牧歌』
15世紀 Pal.lat.1632
プブリウス・ウェルギリウス・マロ(前70−前19)は、古代ローマにおける国民詩人として名高い、ラテン文学を代表する作家の一人です。イタリア北部、マントバに近いアンデスで生まれ、ローマで修辞学を学び、かたわら歴史や哲学に親しみました。その頃少しずつ詩を書き始め、歴史家アシニウス・ポリオに詩の才能が認められました。それをきっかけに皇帝オクタウィアヌスの後ろ盾と大富豪の援助を得ることになり、心おきなく詩作に励むことができました。ラテン文学の傑作といわれる3作品、『牧歌』、『農耕詩』全4巻、そして30歳(前40)から死に至るまでの生涯をかけた叙事詩『アエネイス』全12巻(未完)などの著作が残されています。
10編の詩からなる『牧歌』は、『エクローグ』というタイトルでも知られ、古代ギリシアの詩人テオクリトスの洗練された作品のように褒めたたえられ、時代の趣味趣向とも合って、広く愛読されました。
6月
大槻玄沢『環海異聞 十六』
19世紀 Vat.estr.or.177.pt.2
大槻玄沢(1757−1827)は、江戸時代後期に活躍した蘭方医、蘭学者です。一関藩の医家の子として生まれ、同藩の医師建部清庵に医学を学びました。その後、安永7年(1778)に江戸に出て小浜藩医で蘭学者の杉田玄白、中津藩医で蘭学者の前野良沢に蘭学を学びました。天明5年(1785)には長崎に赴き、オランダ通詞本木良永の下でオランダ語の力を磨きました。翌年江戸に戻ると江戸詰めの仙台藩医となり、京橋に蘭学塾「芝蘭堂」を開き、多くの蘭方医を育成しました。『蘭学階梯』全2巻などのほか著作は多く、また杉田玄白の命により『解体新書』の改訂なども行いました。
『環海異聞』は、全16冊からなる漂流記です。寛政5年(1793)仙台藩の津太夫ら16名は石巻港を出帆しましたが遭難、漂流してロシアに漂着し、享和3年(1803)まで滞在しました。そのうち津太夫を含む4名は、レザノフを使節とする遣日ロシア使節団に同行することになり、日本人初の世界一周を果たし帰国しました。本書は、帰国後に漂流者たちの見聞を聞き書きしたものです。海外の政治事情、風俗などを絵も織り交ぜながら紹介しています。
7月
プトレマイオス『アルマゲスト』
15世紀 Vat.lat.2055
クラウディオス・プトレマイオス(生没年不詳)は、2世紀頃のギリシアの天文学者、数学者、地理学者で、天動説を完成したことで知られています。エジプトのアレクサンドリアで活躍したといわれていますが、それ以外の個人的な情報はほとんどわかっていません。天文学に大きく貢献したほか、三角法などを研究し、幾何学にも優れた業績を残しました。著作には、緯度・経度を記した地図が描かれコロンブスの航海にも用いられたという『地理学概要』全8巻、占星術の原典として今日も用いられているという『テトラビブロス』(四書)などがあります。
代表作の『アルマゲスト』(天文学大全)全13巻は、ルネサンスの時代に地動説により覆されるまで不動の権威として西洋の宇宙観の基本となりました。地球は完全な球で宇宙の中心に静止し、重力が物体を地球の中心に引っ張っているように、太陽や月などの天体も地球を中心としてその周囲を回転しているという宇宙像を展開しています。
8月
『トリスタン・イズー物語』
14世紀 Cappon.227
『トリスタン・イズー物語』は、ヨーロッパ中世最大の恋物語として、時代を超えて読み継がれています。ケルトの伝承が起源といわれ、12世紀後半に2人の作者によって別々に書かれた韻文が、この物語の現存する最古の作品とされています。13世紀になると、散文による長大な作品が流行しました。
主人公は、伯父のコーンウォール王マルクの宮廷で育った勇敢な騎士トリスタンとアイルランドの王女イズーです。トリスタンは伯父の妃になるイズーを迎えに行き、その帰途、2人が誤って愛の秘薬を飲んだことで強くひかれ合います。それ以後、2人は密会が見つかり駆け落ちするなどの試練を経ながら、死ぬまで愛を貫き通します。
世の掟も理非分別も超越して愛し合う情熱的な恋愛という主題を徹底的に追求したこの物語は、忘れられた時期もありましたが、19世紀にドイツの作曲家ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(イゾルデはイズーのドイツ語読み)により、主人公の恋愛の内面世界を軸にした物語としてよみがえりました。
9月
クルティウス・ルフス『アレクサンドロス大王伝』
15世紀 Urb.lat.427
クィントゥス・クルティウス・ルフス(生没年不詳)という人物については、かなり様々な説があります。どの時代に生きたかについても1世紀という説もあれば、もっと遅く4世紀とする説もあります。
『アレクサンドロス大王伝』全10巻は、ペルシアを滅ぼし、ヨーロッパからアジアにまたがる大帝国を築いたアレクサンドロス大王(前356−前323)の物語です。第1巻、2巻、そして第5、6、10巻の一部が欠落しながらも現存しています。現存の叙述は紀元前4世紀に大王が東征の軍を動かすところから始まり、数々の事績を語り継ぎ、大王の死とその後の帝国の分裂、大王の遺体の移送までを劇的な構成、生き生きとした描写で歴史小説のように綴っています。本書は中世に広く読まれ、後世のアレクサンドロス大王物語の先駆けとなって人々の心を躍らせました。
10月
プラトン『ゴルギアス』
15世紀 Arch.Cap.S.Pietro.H.52
プラトン(前427頃−前347頃)は、古代ギリシアを代表する哲学者です。アテネの名門出身で、若い頃は政治を志しましたが、師と仰いだ古代ギリシアの哲学者ソクラテスの処刑に衝撃を受け、哲学の世界に入りました。やがてシチリア島などへの遍歴を経て、真に理想国家の統治者にふさわしい人材を養成するため学園アカデメイアをアテネに創設し、教育と研究に力を尽くしました。その著作の多くは、ソクラテスを主人公として哲学的論議を交わすというもので「対話篇」と称されます。プラトンの哲学は、後世までヨーロッパの哲学者たちに計り知れない影響を及ぼしました。
プラトンの著作は一般的に執筆時期により3期に大別され、『ゴルギアス』は前期にあたります。古代ギリシアの演説の技術である弁論術をめぐって、ソクラテスが弁論術の大家ゴルギアス、その弟子ポロス、気鋭の政治家カリクレスと対話しています。
11月
ヒポクラテス『箴言』
13−14世紀 Arch.Cap.S.Pietro.H.37
ヒポクラテス(前460頃−前375頃)は、「医学の父」と呼ばれる古代ギリシアの医学者です。コス島で生まれたとされ、医師である父などから医術を学びました。その後、各地を旅して医療活動を行いました。故郷に帰っても診療にあたるとともに、論述を発表しました。没後に編纂された『ヒポクラテス全集』からみてとれるヒポクラテスの医学の特色としては、病状を正確に観察、記述し、病人の現状を全体としてとらえ、先行きを見通そうとする科学的姿勢があることが挙げられます。ほかにも、医師の倫理などについて重要な見解が示されるなど、後世にまで大きな影響を与えました。
『ヒポクラテス全集』に収められた『箴言』は、全集の中でも簡素で明確な形式で綴られた、医師の必携の書として広く読まれてきました。内容の一部は著作である『流行病』、『空気、水、場所について』、『液体の利用法について』などのエッセンスをまとめた語録となっています。『箴言』の一節である「人生は短く、術のみちは長い」は、今日まで多く引用され、よく知られています。「術」は、医術にとどまらず、広い意味での学術や技術を指すと考えられます。人生は短く、術を習得するのはむずかしいことだから、怠ることなく励むべきというような含蓄のある言葉です。
12月
ストラボン『地理誌』
15世紀 Vat.lat.2049
ストラボン(前64頃−後23頃)は、「地理学の父」と呼ばれる古代ギリシアの歴史家、地理学者です。黒海南方のアマセイアの名家に生まれ、幼少期より立派な師のもとで教育を受けました。ローマに出ると地理や歴史を研究するかたわら哲学を学びました。ローマやアレクサンドリアに長く滞在したほか、各地を旅しながら見聞を広げ、晩年は故郷で過ごしました。著作に見られる古典の引用は、アレクサンドリアの図書館を利用した成果かと考えられています。また、ほとんど現存していませんが、47巻に及ぶ歴史書を著したことが知られています。
大部分が現存する『地理誌』全17巻は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの3大陸にわたり、当時の世界帝国ローマが知り得た限りの世界地理について豊富な資料に基づき、幅広く、また読みやすく記述しています。初めの2巻は地理記述の歴史と方法を述べ、3巻以降はイベリア、ガリア、イタリア、ギリシア、インド、エジプトなど各地の説明にあてられています。説明は、地理に限らず政治、経済、神話、風俗習慣、動植物の生態にまで及んでいます。