セキュリティやプライバシーが変わる
標準化にはあと数年がかかる
───ブロックチェーンは、これから世の中の他の分野に根付くかの段階に見受けられます。標準化を目指す団体も複数あるようですが、どのように定まっていくものでしょうか。
近年ではクラウドなどの技術もそうでしたが、新しい技術の標準化を図る場合、まずは言葉を合わせることから始めます。そもそも「何がブロックチェーンなのか」をみんながよくわかっていないから、使っている言葉がバラバラなんです。こうした言葉合わせだけでも1〜2年は軽くかかってしまいます。
ブロックチェーンとビットコインは別物だという説明がある一方、最初のブロックチェーンの実装はビットコインでなされたものですから、影響が非常に大きいです。ビットコインに関連する言葉は「マイニング(採掘)」(※1)という基礎的な用語1つをとっても独特ですよね。
また、民間ではブロックチェーンという名前が浸透していますが、規制当局が一貫して使ってきたのは「ディストリビューテッド・レジャー・テクノロジー(分散型台帳技術)」いわゆる「DLT」という呼び名です。その方が幅広いものを指せます。例えば、ブロックチェーンと言えるかはわからない「リップル(Ripple)」(※2)のような仮想通貨もここに含むことができます。
標準化に時間がかかるとはいっても、実際はビットコインが日常的に使われているし、インターレッジャー・プロトコル(ILP)のようなブロックチェーン間を繋ぐプロトコルも公開されています。ただ、チェーン同士が連携していく未来がすぐに実現できるわけではないので、インターオペラビリティ(相互運用性)をどう確保するかの議論は始まったばかりです。
クラウドで済むような事例も多い
───ブロックチェーンはいまだ黎明期にあり、仮想通貨以外の分野に一般化するのは確かにこれからかもしれませんが、すでにビジネスの現場では使われだしています。こうした商用利用の実例をどう見ますか。注目されている事例もあれば教えてください。
例えば、ロンドンのダイヤモンド取引の管理台帳である「エバーレッジャー(Everledger)」は有名です。昨年の資金流出事件で問題にはなりましたが、イーサリアム上で動いている「ザ・ダオ」のように投資ファンド的ビジネスも動き出しています。これが法律で保護される有価証券に当たるのかという議論がなされているところです。
このようにいろんなプルーフ・オブ・コンセプト(概念実証)が出てきているところですが、本当にブロックチェーンにする必然性があってビジネスとして使われているものは、まだそんなに多くないという印象です。
おそらく「ブロックチェーンと引っ掛けた方が資金調達をしやすい」とか「ここでノウハウを貯めていけば今後のビジネスが見えるかもしれない」といった理由なのでしょうね。言ってしまえば「それってクラウドでデータベース共有すれば同じことができるのでは?」というビジネスが多いのです。
裏を返せば、ビットコインの場合には必然性があった。「発行者がいない」というフィクションがあって、初めて「お金が負債を立てなくても生み出せる」ことを実現したからです。ただし、運営者がいないという立て付けを維持するために、「採掘(マイナー)報酬」という特典のような切り口を必要としたわけですけれども。
だからブロックチェーン・ベンチャーには、そもそもの矛盾があると言えます。ベンチャーがサービスを提供しているということは、そこには運営主体があるのですから。ブロックチェーンでなければできないビジネスが見えてこない一番の原因は、こうしたところにあるのだと思います。
───ブロックチェーンを使った方が、クラウドよりも優れたビジネスになるという事例は生まれるものでしょうか。
みんなが必死にそれを探しているところかもしれません。ただ1つ言えるのは、セキュリティやプライバシーへの意識がガラリと変わるでしょう。そもそも最初に発表されたビットコインの論文には「プライバシーに対する考え方を変えるべき」と書いてあります。
これまでクラウドをやる場合には、まず会社でIDを管理して、その閉じた環境の中でシステムを守っていく考え方でした。基本的には、運営者が責任を持ってクラウドを運用し、そこにいろんな人たちが接続しにいく設計です。その中でセキュリティを考え、アクセスコントロールしていこうという発想でした。
ブロックチェーン的なやり方になったら、アクセスコントロールが難しいからそういう訳にはいきません。多様なプレイヤーが繋ぎにいったとき、どうセキュリティを守るかに変わっていく。そうなると、必要とされるセキュリティの技術自体が大きく変わるかもしれません。こうした背景によって、新しい技術ないしアーキテクチャーが生まれてくる可能性もあると思うのです。
これまでのプライバシーは「どうやったら漏らさないか」という考えに立っていました。中身を見られたなら、それはもう「情報漏洩」です。ビットコインで実現しようとしたプライバシーとは、情報の中身は全部が誰でも見られるけれど「それが誰のどういう取引なのか」にたどり着くのを難しくするという発想です。
───オープンなチェーンではなく、クローズドな「プライベートチェーン」でセキュリティを保つという考え方もあるようですが。
プライベートチェーンが本当にブロックチェーンでなければいけないか、私には判断できません。ただ、ビットコインから大きな影響を受けたアーキテクチャーを「簡単に安全性を担保できるかたちでクローズドに使いたい」というニーズもある、ということは理解できます。
オープンのブロックチェーンとも結びつきを持たせつつ、プライベートにデータを管理するアプローチとしては「サイドチェーン」と言う別の技術もあり、サイドチェーン上でポイントシステムなどに取り組まれている方たちがいます。
技術的でなく、政治的な問題も
───セキュリティとともに今後の課題に挙がるのが、ブロックチェーン上の処理スピードだと思います。ビットコインの場合は、取引が確定するまで基本は10分間、長い場合は1時間も待たされることがあります。これは今後、改善されていくものでしょうか。
技術的にはさほど難しい問題ではありません。ブロックサイズを大きくするとか、どこまでをサイズとして数えるようにするとか、パラメーターを調整すればそれだけ大きな取引を乗せることができるからです。その半面、セキュリティとのトレードオフが起こります。また、パラメーターを変えることによって技術的なバランスが損われることもあるでしょう。
純粋な技術的な問題ではなく、かなり政治的な問題があります。ビットコインの場合、実際に使う人、取引所、いろんなステークホルダーがいます。運営者がいないというフィクションの中で、どうやってみんなが合意しながら必要なスケーラビリティーを確保していくかというガバナンスの問題であり、そこにはそれぞれのステークホルダーの損得が関わってきます。
───ビットコインは「お金」だから話がこじれやすいのでしょうか。もし、違う分野だったらうまくいきやすいとか。
確かにビットコインが高騰しているがゆえに難しくなっている面は大きいです。これから白地からつくっていくのであれば、そういった政治的な問題を回避する手立てもあるでしょう。ただ、関係者が少ない期間であれば、それほどのスケーラビリティーは要求されていないとも言えますよね。いずれにしても、使い始めてみないとわからないというのは、新しい技術を異なる分野に応用するとき、どの場合にも同じなのでしょう。
ビットコインのブロック作成作業を、金の採掘に見立てた呼び名。ビットコインでは、最初にブロックの作成に成功した人(マイナー)に対する報酬として、新たに発行されるビットコインが与えられる。ただし、報酬の額は約4年ごとに半減すると決められており、やがて0になる。ビットコインは発行上限があらかじめ決められた仮想通貨として設計された。
リップル社が開発する分散型台帳技術を利用した即時グロス決済システム、外国為替・送金ネットワーク。同ネットワーク上にのみ存在する通貨が「XRP」。2004年にカナダのウェブ開発者である Ryan Fugger により開始された。 https://ripple.com/
社会課題を解決する力がある技術
書いたコードを共有する時代へ
───先ほど、ブロックチェーンを使う必要が本当にあるビジネスやサービスが出てきていない、との指摘がありました。実際に必然性があるビジネスやインフラはどういうものでしょう。ブロックチェーンが一般的になった近未来の青写真を伺いたいです。
正直に言うと、ブロックチェーンという言葉が10年後、15年後に残っているのか、それともDLTのようなものがメインストリームに来るのかはわかりません。しかし、ブロックチェーンがたくさんの人の考え方に影響を与えていく変化は間違いなく起こるでしょう。
これまでのシステム間を連携する考え方では、個別に設計構築されて、別々に運用されているシステム同士が、共通の通信手順(プロトコル)を決めて、それに従って連携していくというものでした。通信を堅牢なものにしたり、トランザクションなどの機能を組み込んだりという具合に、追加をしながら組み立てられてきたのです。
そのためにプロトコル自体がどんどん複雑になり、機器同士がしゃべるための仕組みが難しいものになりました。プロトコルのバージョンが上がると、それぞれのシステムごとに更新が必要で、中身を少し変えるだけでも大きな工数がかかったわけです。
ブロックチェーンの考え方は、それと真逆です。それぞれのシステムが共有している「データの形そのもの」を同じにしてしまう。その結果、異なる組織でも、同じプログラムで、同じデータを扱うことになります。データを扱う部分だけ、それぞれ別々につくれるのがメリットです。そこではすべてのノードが共有するデータを書き出すやり方を決めていくことが基本になり、今よりもっと簡単かつ頻繁にバージョンアップできるシステムをつくれる可能性があります。
───そうなると、社会やビジネスはどのように革新されるのでしょうか。例えばスピードがすごく速くなるとか?
金融系であったり、行政の情報システムであったり、世の中には何百、何千という異なるシステムが相互につながっているシステムがあります。例えば全銀システム(全国銀行データ通信システム)(※1)とか、マイナンバーもそういったものですよね。それぞれのシステムが5年とか6年は使うものとして設計されています。それらのシステムが複雑に相互依存し、さらに改修などを何度も繰り返して、気がついたら20年、30年と陳腐化した設計をベースにやっていかざるを得ない現実があります。時間が経つほど設計書と実装の乖離が進みますし、もともとコードを書いた人の意図を聞くことも難しくなってしまいます。
でも、ブロックチェーンの仕組み上で動くコードをきちんと書いて、それぞれの機関でそのコードを共有できるようになってきたら、これまでのようなシステムの仕様を変える際の負荷が、本当に小さくなるかもしれない。
これまでもそれぞれの組織で丸抱えしていたシステムのプログラムについて、処理の内容では似ているものがたくさんあったはずです。それぞれがDLTに載せるために同じ構造のデータ(ブロック)を持つようになり、かつその上で動くコードを共有するのが当たり前になる。異なる組織のビジネスロジックを同じように記述できるようにできたならば、そのコードをGitHub(※2)などでみんなでシェアして、転用していくといったシステムのつくり方も当たり前になるのではないでしょうか。
これまで「たくさんの機械がつながっているから次のリプレースまで5年、10年は変えられない」と言われていたシステムを、ビットコインやイーサリアムのハードフォークで実際にやったように、半年や3カ月という短期間で「いっせいの、せ!」で変えられる可能性がある。大きなシステムであっても、安全かつ徐々に直していければ、社会にとっても有益だと思います。
学問分野との連携は不可欠
───今のブロックチェーンの世界に起きていることを、インターネットが一般に普及した1990年代に重ねる捉え方もあります。
もちろん似ているところはあると思うのですが、若干違うところもあると思っています。インターネットが商業化されたのは90年代ですが、60年代末のアーパネット(※3)から始まって、黎明期から多くの大学が入っていました。アカデミックなネットワークで使われだしたので、最初から学術研究の対象になっていたのですね。理論研究を通じて様々な穴が塞がれて、実用できるところまで準備された段階で、世の中に受け入れられたものです。
ブロックチェーンもようやくここ数年で論文などが出てくるようになりましたが、コンピューターサイエンスの人たちが十分関与する前に、あまりに大きな価値を扱うようになってしまった。ビットコインというアマチュアリズムの中から生まれたものが、いきなり何十億、何百億という価値をハンドリングするようになってしまったので、これから成熟するまでに大変なプロセスがあるかもしれません。
また、プライバシーやセキュリティに対して、これまでとかなり違う考え方を持った設計になっているので、それを体系化して新しいプライバシーやセキュリティの思想を確立するには、まだ時間がかかる。標準化の世界でやるところもあれば、学会などでやるところもあるでしょう。最近はブロックチェーン分野でレビューやペーパーもどんどん出てきているので、アカデミアの役割が大きくなっていきそうです。
───学術分野として近いのは、コンピューターサイエンスの中でどの分野になるのでしょうか。
分散データベースとか、トランザクション管理ですね。データベース研究やOSの研究は、もともと学者が何十年もやってきた、わりと地味な分野だったのです。そのアカデミアのコンピューターサイエンスをビジネスの世界に持っていったのがGoogleです。
データセンターからアプリケーションまで一気通貫で開発・管理するクラウドのモデルでは、パッケージで売るのと比べて、APIよりも下のレイヤーは運営者の都合でバージョンアップできるから、新しいアルゴリズムを短期間で適用できる。それによって、既存システムのリプレースを待たずに新技術を投入でき、それまで1万台必要だったサーバーが6,000台で済むようになったりする。クラウドの機能や性能が急激に向上し、これだけ急激に流行った理由です。すでに市場で出回っている製品との相互依存性や、顧客の意向を押し切って、最新の技術を展開できるのです。
こうしたアプローチが1つの分野が一気に花開くと、新しい言語や新しいデータベースなど、いろんなものが出てきます。そういう新しいカルチャーの延長線上で、従来のパッケージ製品とは違った新たなデータベースや分散システムの仕組みが数多く育まれて、その先に管理者がいなくても動くビットコインのような技術が育まれ、数年かけて花開いたという印象を受けます。
運営主体がいないからできること
───最後にブロックチェーンが社会課題を解決する可能性を聞かせてください。先日、マイクロソフトとアクセンチュアが共同でブロックチェーン技術を使ったプロジェクト「ID 2020」を発表しました。世界中の難民に公的IDを発行して身分証明できるようにし、金融や行政サービスを受けられる仕組みをつくる計画だそうです。こうした事例に中央集権的なシステムではないブロックチェーンが向くのでしょうか。
向いていると思います。オープンデータの進展を見ても明らかなように、公共サービスには台帳で管理される、全体で共有できる公的なデータは多いですから。人のプライバシーに関わるところは克服すべき技術課題もありますが、定住しているとは限らない難民にデジタル認証に基づいてサービスを提供するというのはチャレンジングな試みですし、もともと体系化された住民台帳がなかったインドでも人口の8割くらいが生体認証のIDキットに登録したそうです。
日本の住民制度はすべての住民に住所があるという前提で設計されているため、ホームレスは、まず部屋を借りないことには生活保護を受けられません。物理的な郵便を受け取らなくても、容易に連絡がついて社会生活を送ることができ、昔と違ってネットやスマホさえあれば定住しなくても社会生活が営める時代になりつつありますが、まだまだ制度や公共サービスが追い付いていないのです。
リーマンショックの後、「ネットカフェ難民」が話題になった時期に、そういった人々にどう救いの手を差し伸べるべきか議論が起こりましたが、いきなり変えるのは難しいですね。海外に居住している日本人についてさえも課題が残っていて、在外邦人の在留情報をどのように管理し、マイナンバーカードを誰がどのように発行するのかという議論も決着をみていません。
難民に対してデジタル認証を提供する取り組みは、そういった過去のしがらみがない分だけ、一足飛びに新しいやり方を試せます。その一方で、信頼の起点をどこに置くのか、登録の重複をはじめとした過誤や不正をどうやって防ぐのか、課題のうちどれひとつ取っても、これまでと違った困難さや研究開発要素があるでしょう。
これまでシステム化されてこなかったそうした領域に、ブロックチェーンは適している可能性があります。誰もシステムの運用経費を賄い続けるだけのリスクが取れないために、おいそれと着手できないシステムは少なからずありますが、ブロックチェーン上で自走できる見通しが立てば、全体の運営に責任を持たずとも、個々の開発に対して寄与する仕組みを構築しやすくなりました。
ブロックチェーンを使って、これまでは胴元がいなかったり、責任の主体がはっきりしないために難しかったプロジェクトが、いろんな立場の主体がボランタリーに入ってくるかたちで実現できるとしたら、きっと世の中を大きく変えていくのではないでしょうか。
銀行、信用金庫、信用組合、労働金庫、農業協同組合など、日本国内の金融機関相互の内国為替取引を、コンピュータと通信回線によってオンライン処理できるようにした手形交換制度。1973年に稼働開始。取引量の拡大やセキュリティの向上を目指してバージョンアップを繰り返し、現在のシステムは第6次システムにあたる。
ソフトウェア開発プロジェクトのための共有ウェブサービス。公開されているソースコードの閲覧と管理、SNSの機能を備えている。ユーザーはローカルのリポジトリで行った追加や変更の履歴を、ネットワーク上のリモートリポジトリに保存する。 https://github.com/
世界で初めて運用されたパケット通信ネットワーク。1960年代より、米国国防総省の高等研究計画局(ARPA、後にDARPA)が資金を提供して、複数の大学と研究機関で研究が進められた。