2019.8.7事例&対談

人の感情理解を助けるテクノロジーが、一人ひとりのウェルビーイングにつながる

Rosalind Picard(MIT Media Lab)

コンピュータが人間の感情やストレスを分析する?そんな日常はすでに始まっている。約20年前に「アフェクティブ(感情的)・コンピューティング」という研究分野を自身の著書で提唱したロザリンド・ピカード教授はその第一人者であり、MITメディアラボにて同名の研究グループの指導を務めている。医療機関から企業まで様々な分野との協働を推進しており、自動車運転中の感情やストレス状態を分析し、ドライブの安全と質の向上に役立てるNTTデータとの協働研究「エモーショナル・ナビゲーション」もそのひとつ。数々の社会実践について話を聞いた。

人の感情に寄り添うコンピューティング

——ご自身の研究「アフェクティブ・コンピューティング」について教えてください。

元々は、テクノロジーに感情的な知性のスキルを与える研究でした。例えば、対象となる人物が退屈なのか、イライラしているのか、それとも落ち着いているのかといった違いをコンピュータが判別できるように学習することができます。その目的は、人の感情がネガティブにならないように働き続け、人を尊重していく技術を生み出すこと。AIはいつか人間の仕事を奪うとも言われますが、私は人間の能力を尊重し、拡張してくれるような種類のAIをつくることに興味があります。人間と共に働くなかで、人の価値や感情を尊重し、相互により良い影響を与え合う技術をいかに生み出すかを日々探求しています。

——感情を分析するにはどんな技術が使われているのでしょうか。

人の感情に尊重するためには、私たちはまず「人は何に心地よさを感じるのか?」から考え始めなければなりません。その答えを得るために、テクノロジーを用いてその時々の感情やストレスを分析していきます。ビデオや音声、または様々なセンシングデバイスを通して、いま私がどんなふうに座ったのか、どうスマホを持って、どんな運転をして、どう話したのか、その際の表情の変化など様々な情報を記録しています。そのセンシングデータはAIを用いて処理され、その場の環境に随時反映させます。例えば、私がドライブ中にストレスを感じたら、機械のドライビングアシスタントの声が、心を落ち着かせるような雰囲気に自然と変わっていくといった具合に。

教授の試作品である「mood mirror」。画面に写り込んだ人々の表情を検知し、それに対応するアイコンを顔の部分に被せて表示させる。私たちの顔から送られている感情情報をどのようにテクノロジーが解釈する可能性があるかを示すプロトタイプ作品

——正確に計測してデータを集めるには、センサーの種類や精度も重要になるでしょうね。現在はどんなセンサーを使用されているのでしょうか。

ええ、センシングにおいて精度や正確性を担保することは重要ですが、ときには様々な低品質のセンサーとの組み合わせから正確な結果を導けることもあります。たとえば運転環境を調べる上では、ハンドル、ドア、ペダルやギアシフトなどにセンサーを取り付け、グリップの握り方や温度、またシートベルトから運転手の心拍数を計測しています。ほかにも、モーションセンサーや、天候を計測するセンサーもありますね。人の感情やストレスは天候に大きく左右されますから。

けれど、この技術を使うには注意も必要です。心の動きを正確に伝えてくれる魔法のセンサーは存在しませんから、感情を予測するには多数のチャンネルから得られる膨大な情報をAIの学習に統合させていく必要があります。もし目の前の人が笑っていたり、または悲しんでいたりするように見えても、本当の心の奥まではわかりませんよね。お互い知られたくないこともありますから、コンピュータが完璧ではないのは、かえって良いことだと私は思っています。ただ、日々様々なチャンネルのデータを共有することで、コンピュータの分析はより信頼に足るものへと育っていくことでしょう。それはまた、実際の心のうちはわからずとも、少なくとも誰かがその人のことをどう感じるかという推測は可能になるということです。

明日のストレスは予測できる?

——日々の感情やストレス分析から、翌日の状態も予測できるようになるのでしょうか。

そんなの無理だと思っていたんです。でも、数年前に予測可能なことに気付き、とても驚きました。この発見はうちの優秀な学生のおかげです。現時点の研究結果はニューイングランド地域の大学生に限られますが、日々の計測データから、翌日の状態を高精度で予測することが可能であると実証されています。現在は似たようなライフスタイルを送る学生に対して、約80%(※1)の精度で翌日の気分やストレス、健康状態などが予測できるようになっています。この研究に関しては、いま日本企業も含む数社と協働研究を進めている最中ですが、企業が従業員から収集したデータを使って、学生以外にも応用可能かどうかを調べているところです。

教授の研究室内

教授の研究室内

——ストレスや感情の予測において決め手となる要素は何でしょうか。

人それぞれ何が大きな要因になるかは複雑に絡み合う問題なので一概には言えませんが、私たちが発見したなかで、最も影響の強い要因には、睡眠の規則性があげられます。私たちの研究では、多くの学生が毎日定期的な時間に寝起きをすること。特に睡眠時間をより一定にすることで、ストレスが軽減されることがわかってきました。また他者とのインタラクションも、別の大きな要因としてあげられます。

特に、夜間に他者とポジティブなコミュニケーションを取ると、翌日のストレス軽減に影響するのです。その差分を発見したのは、睡眠時における生理的特徴からです。生理機能、特に「皮膚の電気抵抗」として知られている皮膚表面からの電流を測定することで、ストレス予測が可能となりました。就寝時や、日中働いているときのデータにその差異がよく表れてきます。

——そうした予測によって、どんなことが可能になると思いますか。

自分自身でコンディションをコントロールできる幅が増えてくると思います。発汗量や体温といった生理機能を自ら制御するのは難しいかもしれませんが、私たちの提示するこの、感情に寄り添う新しい技術は、睡眠時間の調節や行動の変化を促すことで、自身によるストレス調節をサポートします。でも、その予測やコントロールはあくまで本人が知るべきもので、会社の上司や同僚に伝えるものではありません。一人ひとりが自分のデータを把握し、より良い生活に役立てられるようになることが大切だと考えています。

もちろん、その際のプライバシーは十分に尊重されなければなりません。もしも従業員のデータがその上司に直接渡ってしまうとしたら、結果として従業員の健康が損なわれてしまう可能性すらありますから。

——NTTデータでは、毎年、今後3年から10年のトレンドを予測したNTT DATA Technology Foresightを発表しており、生命課題への挑戦というトレンドのなかに「感情理解やデジタルデバイス、ニューロテクノロジーなどの先進技術が未来のウェルビーイングを創造する」という項目を立てています。近年、うつ病は深刻な社会問題となっていますが、アフェクティブ・コンピューティングが貢献できることもありそうですね。

その通りです!いまや世界的にうつ病や自殺の問題が浮上していますが、WHO(世界保健機関)は2030年までにその数が癌や脳卒中を超えると述べています。とても悲しい問題です。いま、社会全体でこの問題について向き合い、予防を考えるべき時期に来ていると思います。もちろん問題は非常に複雑で、心理的、社会的要因のはらむ状況を一挙に解決することはできません。

それでも、うつ病を軽減するには、睡眠や社会関係の改善で効果が出ることもわかってきました。また、個々の宗教観やスピリチュアリティ、信仰心も精神的なウェルビーイングに大きく影響します。その相互作用を調べていけば予防できる余地があるのです。うつ病発生率の高い定年退職時や、経済的な問題を抱えていたり、ストレスフルな状況に陥っていたりするとき、センシングされたデータを活用して、助けとなる情報を送ることもできるでしょう。特にこれからの子どもたちには、スポーツを教えるのと同じように彼らの心を守る方法を教えられると思っています。

医療機関から企業まで、研究を社会に実装する

——そうした変革には、研究の社会実装が不可欠だと思います。これまでに実践例があれば教えてください。

いま、私たちにはたくさんの医療機関パートナーがいます。ハーバード大学医学部や、自殺専門家、うつ病クリニック、また多くの神経科医とも提携を取り、心理状況が脳のどの部分で関わっているかを調べる研究も進んでいます。ほかにも、ニューヨーク大学のボストン小児病院や、エモリー児童ヘルスケアセンターといった子供向けの医療機関とも連携しています。これらのパートナーからは、日常生活の身体データを提供してもらうことで、脳の中で何が起こっているのかさらなる理解につなげようとしています。また外科医とも協力し、患者が手術を受けている最中、皮膚に取り付けたセンサーから心理状況や感情の変遷を把握できるようなシステムも開発しています。

——以前ピカードさんの出演された「TED」を拝見しましたが、SUDEP(突然死)の予防についてもお話されていましたね。

ありがとうございます。いま、ここで話題にしたことが、多くの命を助ける機会につながると嬉しいです。さてSUDEPですが、ほとんど知られていない病名で、てんかん持ちの人に起きる原因不明の突然死のことです。私もまさかその発作のデータと関わることとなるとは思っていませんでした。ちょうど偶然、我々のチームが手首に汗腺バンドを装着して皮膚の電気抵抗など(ストレス値を調べる際によく指標となることが多い)を計測する実験中に、ひょんなことからその関連が発見されたんです。

それは、うまく自分のことを伝えられない子どもの心理状態について理解を深めるための実験でもあったのですが、ある時、子どもの両手首から送られるシグナルのうち、片方だけ異常に数値が高いことに気づきました。はじめはセンサーの不調かと思いましたが、その後、てんかんの発作だと判明したのです。その後のボストン児童病院で行われた大規模な調査により、手首で読み取ったシグナルが、脳内の異常な電気活動を示していることがわかりました。つまり、手首から、身体の神経系の変化を引起こす異常な電気信号が測定できるのです。

さらに、その神経系の変化は、発作後に無呼吸を招く可能性もあります。無呼吸中の患者は、ちょっと刺激したり、頭を自分で動かせない子どもの場合は、横向きに寝かせたりするだけでも、呼吸を再開させられることがわかっています。その時にもし他人がそばにいれば、発作が怪我や死亡につながる可能性はぐっと低くなります。つまり、発作後の数分間、隣で誰かが気付いてあげれば助かるものなのです。

そこで私たちは、SUDEPを防ぐデバイス製品「Embrace」の開発に着手しました。これはAIアルゴリズムが実装されたスマートウォッチで、手首の信号から発作を自動的に検出すると、現場のGPS位置と研究警報をユーザーの介護者リストに発信します。介護者がすぐに現場にかけつけられれば、命を救う手助けになるでしょう。「Embrace」は現在、正式に医学的な承認を得た初のスマートウォッチとなり、神経学会で6歳以上の子どもから成人のモニタリングに使用されています。この製品のおかげで実際に人命救助に役立ったという実例も耳にしています。

「TED」- *WHY* Build AI? / Roz Picard
https://www.youtube.com/watch?v=itikdtdbevU

——すばらしい試みです。NTTデータとも共同研究を進めていますが、自動車運転中の心理状況を調べる「エモーショナル・ナビゲーション」についても教えていただけますか。

このプロジェクトにはとても期待しています。運転中のストレス状況を分析し、いかに快適に過ごせるか導いていく実践ですが、車の運転というのは通勤・通学で運転する人ほど日々の生活に大きく関わりますよね。帰宅した人が、運転時のストレスを引きずって家族に当たってしまうことだってあるでしょう。運転時のストレス改善はその周囲にも大きな影響を与えることだと思います。近い将来、自動運転、または半自動運転が実装されるときにも、ここでの研究は大いに役立つでしょう。

ドライビング・シミュレータ写真

NTTデータ(everis)が持つドライビング・シミュレータに生体センサーやカメラを搭載し、運転者の様々な状況・環境における感情やストレス状態をモニタリング。その状態に合わせた介入を行うことで、運転中の安全性や快適性の向上を目指すプロジェクト。本研究から蓄積されたノウハウは、自動車データ解析のプラットフォーム構築や、自動車業界にも採用可能なソリューション開発を目論んでいる。Hyundai、Daimlerも参画している。

——企業と連携するメリットもそこにあるのでしょうか。

もちろんです。私たちの研究室での実践が、企業との取り組みを介してより多くの人に伝わり、実際の生活にもたらされていく。そのときこそ、リアルな未来が形づくられていくんです。NTTデータのような企業との連携は非常にエキサイティングですね。また今後はモバイルやウェアラブルデバイスなどにセンサーが組み込まれ、うつ病などの予防や健康維持に活用されることもあるでしょう。

その一方で、個人のデータを扱う上での誠実な倫理観がより一層求められてもいます。いまSNS情報をはじめとするあらゆる個人データがビジネス市場を形成しています。データからアイデンティティが検出される時代、広告主はあなたの精神的健康や気分などお構いなしに情報を送ってきますよね。私たちはデータを取る人には、必ず取った情報で何をするのかを伝え、同意を得てから、使用するように努めています。彼らの理解や承認なしにデータを使うことは決してありません。

——今後、個人のデータはいかに保護すべきなのでしょうか。欧州ではGDPRなどの法律(※2)も制定されましたが、実際には一般の人々が到底コントールできないレベルのデータで溢れていることも事実です。

それはとても重要な問題ですね。毎日データと向き合っている私でさえ、自分のデータすべてを管理する時間はありません。では、どうするのか。これからは信頼できる第三機関としてのサービスが必要だと思います。いくつかの銀行に信頼してお金を預けるように、データを信頼して預けられるプラットフォームを複数の中から選べるようになるべきでしょう。

——具体的にはどんなプラットフォームが求められるのでしょうか。

たとえば医療データであれば、複数の病院や保険会社のデータをまとめて一括管理し、どんな運用ができるかを提案してくれるものです。個人のデータを収集したい企業は広告企業に限らずたくさんありますから、そのことをよく理解しながら、一人ひとりが自身のデータの価値を把握し、うまく使えるようになる必要があると思います。私が共同設立した会社のひとつ、Empaticaでは医療研究用に参加者の承認を得たデータを共有するシステムを提供しています。日々計測された生体データは製薬会社などにとってはとても貴重な情報源であり、製品やサービスの改良に役立てられます。そのデータを提供する代わりに、個人も直接の利益を得る。そうした環境をつくりだせれば、個々人にも企業にも相互に大きな価値を生み出せると考えています。

クレイジー!を応援する学際フィールド

——ピカードさんの1分野にとどまらない活動は素晴らしいと思いますが、MITメディアラボの環境も起因しているのでしょうか。

もし私が今も伝統的な電気工学部に残っていたら、決してこんなことをしていなかったでしょうね。そもそも、電気工学の研究者が感情にまつわる論文を書くことに、踏み出す勇気を持つこと自体、きっとなかったと思います。私がこの研究を始めたのは20年以上前ですが、当時はばかばかしいトピックだと言われ続けてきました。メディアラボに移るときですら、研究を正直に告げるのに戸惑いがあったんです。でも、メディアラボのディレクターはこう言ってくれました。「僕たちはクレイジーなことがしたいんだ!」と。私は答えました。「だったら、これも相当クレイジーですよ!」ってね。

——クレイジーを促進してくれる環境があったんですね。

メディアラボでは、リスクを冒したり、普通は恥ずかしかったり、やるのを怖がったりするようなことを積極的に応援してくれる風土があります。そして、常に異分野が行き交う学際性も際立っています。私は電気工学者ですが、センサーの開発からAIのパターン認識、神経科学や精神医学といった多様な医療領域まで、様々な専門家や機関と協働してプロジェクトを進めています。そしてラボ内にとどまらず、常に外に開かれています。現実世界のニーズは、次に何をすべきかを考えさせてくれるんです。

研究者だから、〇〇企業の社員だから、といった理由で自分たちの興味や仕事の幅を狭めてはいけません。メディアラボはそんな枠を取り払って、何事にも問いを持てと教えてくれます。それがどんなにクレイジーで、誰にも理解されないことでも。

——学際性から広げてダイバーシティについてもお聞きします。女性の研究者として感じることはなにかありますか?

これまで、男性がほとんどの研究所に女性が1人なんてケースも度々経験してきました。そのとき、私の存在が周りの人を居心地悪く感じさせていることもよくわかりました。そもそも、人は誰でも同じバックグラウンドで、同じ方向を見ている人と共にいることに居心地の良さを感じる生き物でしょう。日本では特に、みんなと同じであることが良しとされているように感じます。でも、もし本当に重要な課題を解決したいのであれば、異なる視点、異なる方法を持つ必要があります。

ビジネスの世界であれば、製品を開発する初期段階から、様々なケースを想定する必要がある。あらゆる方向からの視点が加わるとき、そのビジネスはより成長していくでしょう。企業の多様性は倫理のためではなく、成功するビジネスにとって重要なのです。

——ありがとうございます。最後に、アフェクティブ・コンピューティングにおける未来のビジョンを教えてください。

この研究では、これまでよりも高度な知的なマシンを作ることが目的ではないと思っています。人の感情を尊重しながら、人々の暮らしや健康を改善するのは、従来のAIの目標設定よりもさらに高いハードルであり、研究者としても大きなゴールです。その高みに到達するために、人々が本当に必要としているものは何かを常に考え、耳を傾けたいと思っています。テクノロジーがすべての解決策だとは決して思いません。それでも、いま疎かにされている心の問題や健康について、テクノロジーが人類に貢献できることにはまだ知られざる無数の方法が潜んでいると思います。一人ひとりが自身のウェルビーイングを見出し、幸せに生きていくためのヒントを提案していく。そんな未来を描いています。

取材・文:塚田有那 撮影:野口正博

※1 約80%

ランダムに予測した精度(約50%)と比較した場合

※2 GDPRなどの法律

EUが個人情報保護を目的に策定した「一般データ保護規則」。EU域内で取得された個人データに関する本人の権利を規定しており、EU域外の企業にも適用される。

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