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理想と現実のギャップを埋めるため、動き続けることで掴んだ”自分らしいキャリア”【CaSy池田裕樹対談/前編】

NTTデータを卒業し、各界の最前線で活躍するOB・OGの皆さんに、在職時の出来事や、今の仕事の糧となった体験を伺っていく本企画。七回目となる今回は、家事代行サービス「CaSy(カジー)」を展開する株式会社CaSyの共同創業者の一人であり、現在は代表取締役 CFOとして活躍している池田裕樹氏をお招きしました。2014年に創業し、2022年に東証マザーズへの株式上場を果たしたCaSyですが、池田氏が創業するまでにどのような軌跡があったのでしょうか。人事本部 人事統括部長の村松が伺いました。

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社会への貢献を肌で感じる仕事がしたい。物理の研究からITの世界へ

村松
この度はマザーズへの上場、おめでとうございます。CaSyは家事代行業界のDXに取り組んでいらっしゃいますが、その裏側にどのようなご経験が生かされているのか伺えるのを楽しみにしています。

CaSy池田
ありがとうございます。よろしくお願いします。

村松
池田さんはNTTデータ在職中に起業をなされたと伺っていますが、まずは創業に至る以前のキャリアについて振り返っていければと思います。大学では物理を研究されていたそうですね?

CaSy池田
学生時代は応用物理を学び、その後は大学院で、ある物質の物性研究を行っていました。当時はヒトゲノムの解析が盛んな頃で、DNAの解析への活用が見込まれていたんです。

とはいえ、私がやっていたことは基礎研究でした。基礎研究は社会の役に立つまで、とても時間がかかります。研究を生かした就職を考えたこともありましたが、自分が取り組んでいることを目の前で喜んでくれる人がいたり、社会への貢献をもっと肌で感じられる方が自分には合っているのではないかと考えるようになりました。

村松
そうなんですね。ご経歴を拝見すると、物理の世界からITへの就職、家事代行サービスでの起業、と大きな転換をされていますよね。学生時代、そして就職活動をされていた当時、どのような思いを持たれていたのですか?

CaSy池田
私の大学時代はWindows95が発売されて、PCが一気に身近なものになっていった時代でした。当時は新しいおもちゃみたいな感覚で、秋葉原でパーツを集めて自作のPCを作ったりもしていました。インターネットバンキングもまだ存在しない時代でしたが、これからもっとITはビジネスに必要なものになると直感していました。

村松
1995年というと、私がNTTデータに入社した年ですね。Windows95が出て数年後といえば、金融分野では銀行の勘定系システムの共同化プロジェクトが進行していたことを思い出します。文系出身ながら仕事を必死に覚えようとしていた頃でしたね。

CaSy池田
ちょうど複数の銀行間で振り込み等ができるようになった時代ですよね。村松さんが関わっていらっしゃったんですね!

村松
懐かしい時代ですね(笑)。

お話を戻しますが、池田さんは学生時代からITに興味があったということでしょうか?

CaSy池田
そうですね。当時からビジネスパーソンとして大きな責任のある仕事をしたいと考えていました。ですからIT業界以外にもコンサルティングファームや商社などを見ていました。その時から経営にも興味はありましたが、当時の私にとっては憧れのその先にある、概念でしかありませんでした。

2003年当時はいわゆる就職氷河期で、私自身も漠然とした活動を行っていたのですが、最終的には研究室から入社実績があったNTTグループの他のSIerに入社させていただくことになりました。

キャリアを意識するきっかけは”同世代の活躍”

村松
新卒で入社したSIerでは、どのような仕事を経験されたのでしょうか?

CaSy池田
金融業界のお客様のシステム開発を担当していました。NTTデータと同じSIという業種で、かつ担当していた業界も村松さんと同じ金融でした。ですが、当時勤めていた企業にとって金融領域は“これからチャレンジしていこう”というフェーズで、プロジェクトの規模感はNTTデータに入った後のことと比べると大きく違っていて、もっと社会にインパクトを与える仕事をしたいと思っていました。

村松
同じ金融畑を歩まれてこられたのですね。お話から、池田さんとしてはもっと規模の大きな仕事に挑戦されたかったように感じますね。

CaSy池田
そうですね。もちろん当時の仕事は会社として新しい挑戦をしている領域だったので、たくさん学びもありました。ただ、社内の別部署では大規模な花型プロジェクトで活躍している同期もいて、自分と比較しては自分がやっていることの小ささを感じてしまって。「自分のキャリアはこれでよいのか」と焦っていました。

村松
システム開発プロジェクトは規模感が変わるとステークホルダーも増え、求められる能力も変わりますので、お気持ちはわかります。

私は逆に、入社3年目の頃にはハードウェアの予算だけで数百億円といったプロジェクトに参加し、その重圧に押しつぶされそうな焦りを感じながら仕事をしていました。

CaSy池田
やっぱり会社が違うと全然プロジェクトの規模感が違いますね。

また同じ頃、同世代の方がインターネット生命保険会社を創業した、と世の中で大きな注目を浴びていました。「同世代がこんなに活躍しているのに!」と、ますます焦りが強くなっていったことを覚えています。

村松
同期や同世代の活躍と自分を比較しながら、ご自身のキャリアを本格的に考えるようになっていったわけですね。池田さんはその後、NTTデータへの転職をされるわけですが、当時のお話をお聞かせいただけますか?

CaSy池田
当時からNTTグループ内でも「SIといえばNTTデータ」という印象がありました。もっと大規模なプロジェクトを経験したい、と考えていたので、グループ内のジョブチャレンジ制度(※1)を活用して転職することを決意したんです。

※1 ジョブチャレンジ制度:自律的なキャリア形成を求めるチャレンジ意欲あふれる一般社員に対してNTTグループ内で企業の枠を超えた活躍の場を提供する制度

NTTデータで直面した「人を動かす」難しさと、誠実さの価値

村松
NTTデータではどのようなプロジェクトを経験されたのですか?

CaSy池田
ある銀行の営業店システムの全面更改プロジェクトにPMO(Project Management Office)(※2)のメンバーとして参画し、数百億円という規模のプロジェクトに立ち上げ段階から加わることができました。

※2 PMO:プロジェクトマネジメントオフィス。組織内における個々のプロジェクトマネジメントの支援を横断的に行う役職・業務。

村松
実際にNTTデータで働き始めて印象的だったことはありますか?

CaSy池田
新卒で入社していた同じ年齢の社員がPMOにいたのですが、年上のメンバーに対してもリーダーシップを発揮して活躍していて、もの凄く影響を受けましたね。

NTTデータは、年功序列で、もっと目上の先輩の顔色を見ながら仕事をするものだと思っていたので(笑)。でも、まったくそんなことはありませんでした。

村松
確かに、フラットな社風は外から来た多くの人が驚くところですね。池田さんはレベルの高いプロジェクトを求めてNTTデータに入社されたわけですが、プロジェクトの難易度という点ではいかがでしたか?

CaSy池田
村松さんもおっしゃっていた通り、規模が大きくなることでプロジェクトの難易度が劇的に変わるのを目の当たりにしました。そこで改めて実感したのがNTTデータのプロジェクトマネジメント力の高さでした。仕組み化し、その仕組みをプロジェクトに浸透させ、着実に運用していく。こうした「当たり前の水準の高さ」が際立っていると感じました。

今でも覚えているのは、システム移行の真っ最中だった2011年当時、東日本大震災に見舞われ、プロジェクト全体を一度ストップさせることになったときのことです。

再開を見据えた、先が見えないなかでのプロジェクトマネジメントは困難を極めましたが、非常事態の中でもしっかりとマイルストーンを置き、大きな混乱なくメンバー全員で乗り切ることができたのも、こうした確固たるノウハウが当たり前にあったからこそだと思います。

村松
そうでしたか。「プロジェクトは予定通りには進まない」ということをあらかじめ見越しておくのも、プロジェクトマネジメントの重要な視点ですよね。

私は2011年当時、某金融機関様に出向していたのですが、まさに東北にいて震災を経験し、そのことを実感しました。池田さんがプロジェクトマネジメントにおいて一番苦労したことは何ですか?

CaSy池田
「人に動いてもらう」ということですね。私よりも豊富な業務知識を持っている人たちに対して、いつまでに何をしてほしいと要求しなければいけない場面もあります。しかし、こちらからただ要求を伝えるだけでは人は動いてくれません。相手の立場に立って、どうすれば動いてもらえるのかを考えるーー。この時の経験は今の組織運営にも生きていると思います。

村松
相手の立場に立って考えるというのは私たちNTTデータの文化として根付いているものなのかもしれません。人に動いてもらうには、ひとつのやり方に固執していると難しいですよね。私も池田さんと同じように、相手はどういう人か、どういう性格の人かを考えながら向き合うように意識してきました。

CaSy池田
他にもNTTデータらしさ、という点で言うと、お客様との長期的な信頼関係を重視する点もあるかもしれません。

例えば、長いプロジェクトのなかでは大なり小なりトラブルもありましたが、隠さず正直にお客様に伝えることを、当時の上司からは徹底されていました。「NTTデータは嘘をつかない会社だ」と。

お客様と長いお付き合いをしていく会社だからこそ、正直に向き合うこと。この思想は今もCaSyの経営において生かされています。

村松
まさに私たちがグループビジョンのなかでも掲げているロングターム・リレーションシップそのものですね。特に私たちが携わってきた金融分野では、テクノロジー・技術力もさることながら、お客様の業務プロセスを知ることを通して、お客様に信頼していただくことが求められますね。

CaSy池田
本当にそうだと思います。ほかにも、NTTデータで学んだこととしてはプロフェッショナリズムがあります。

当時の上司からは「それはプロフェッショナルの仕事か」という言葉をよく言われていました。自分がプロフェッショナルとしての仕事を全うできているかどうか、常に自分に問いかけるということですね。

事実、NTTデータでは、それぞれ得意領域の違う人たちが集まりながらも、みんな誇りを持って働いていました。まさしくプロフェッショナルの集団だと感じましたし、それがお客様との信頼関係の構築にも繋がるものだったと思います。

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社会に対して目に見える形で貢献できる生き方を模索し、同世代の活躍と自分を比較しながらも、アクションを起こすことで自らのキャリアを掴んでいった池田氏。インタビュー後編では、CaSyという家事代行サービスを創業した経緯、現在の経営や組織運営において大切にしていることなど、池田氏の現在の姿に迫りながら、NTTデータで得たものがどう生きているのか紐解いていきます。ぜひ後編もご期待ください。

※掲載記事の内容は、取材当時のものです