NTTデータのマーケティングDXメディア『デジマイズム』に掲載されていた記事から、新規事業やデジタルマーケティング、DXに携わるみなさまの課題解決のヒントになる情報を発信します。
注1)医学的には「ギャンブル障害」と呼称し、国会などでは「ギャンブル等依存症」として議論されていますが、記事では読みやすさを重視し一般的な用語である「ギャンブル依存症」と表現しています。
田中 紀子
公益社団法人ギャンブル依存症問題を考える会 代表
(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 研究生)
ギャンブル依存症と買い物依存症から回復した経験を持ち、全国各地での家族相談会や、ギャンブル依存問題の普及啓発のための講演活動などを実施。著書は「家族のためのギャンブル問題完全対応マニュアル(アスク)」など。2018年12月には、ローマ教皇主催「依存症問題の国際会議」の招聘を受け、バチカンで日本のギャンブル依存症対策等の現状について報告を行うなど精力的に活動中。
木村 智和
NTTデータ ITサービス・ペイメント事業本部 スマートライフシステム事業部 エンターテイメント統括部
入社以来、エンターテイメント業界やテレコム業界でのシステム企画・ITコンサルに従事。現在は、エンターテイメント業界の更なる活性化に向けて、デジタル技術を活用した新規サービス企画・新規ビジネス企画に取り組んでいる。2017年3月より本研究プロジェクトを立ち上げ、NTTデータ側マネージャとしてプロジェクトの全体推進を担当。
筒井 貴之
NTTデータ ITサービス・ペイメント事業本部 スマートライフシステム事業部 エンターテイメント統括部
金融系開発を経験後、エンターテイメント業界を軸とした企画・提案・分析・コンサルなどに従事。ギャンブル愛好家としての強みを生かしてレジャー産業に貢献している。本プロジェクトでは設問設計の考案などLOSTの初期構想の立案や分析などを担当。
異業種コラボレーションから生まれた画期的なスクリーニング手法「LOST」
― 今回のギャンブル依存症の早期検知につながる取り組みについて、その背景と内容を教えてください。
木村さん:私たちのチームは、競馬・ボートレース・パチンコといったお客さまの事業を支えるITサービス・システムの提供やデジタル技術を使った事業変革のご支援をミッションとし、日々お客さま業界の情報収集にも取り組んでいます。そのような中、2017年の厚生労働省の調査(注2)で、日本国内でギャンブル依存症の疑いのある方が約320万人いるという驚くべきデータが発表されました。この問題に対し、私たちの得意とするデジタル技術を使って何か貢献できないだろうかという想いがきっかけで、社内の有志メンバーを集めプロジェクトをスタートしました。
注2)出典:厚生労働省「ギャンブル依存症の理解と相談支援の視点」18頁(生涯経験としてギャンブル等依存が疑われる者の推計値)
調べていくと、世の中にはギャンブル依存症をスクリーニングするツールとしてSOGS(ソグス)、DSM-5などがあるものの、それらがなかなか使われていないという現状がわかりました。その理由について、田中代表や精神科の専門医である国立精神・神経医療研究センター松本先生にお話を伺うと、アメリカで作られたため日本の環境に馴染まない部分や、回答しづらさ・設問の妥当性への疑問があることが見えてきました。例えば、現在の状態を調べたいのに「ギャンブルをやめようと思っても、不可能だと感じたことがあるか。」と生涯での経験を問う設問になっているなどです。
これを日本流にカスタマイズし、かつデジタル技術によって使いやすい状態を生み出せたらギャンブル依存症の解決に少しでも貢献できるのではないかと考え、その仮説を田中代表にお伺いしたのが取り組みのきっかけです。
田中代表には良い取り組みであると賛同いただき、前述の松本先生をはじめ、関係する筑波大学の森田先生など、どんどん仲間を呼んでいただき、異業種コラボレーションでこの研究をスタートさせました。共同研究へと拡大してからは、調査設計、オリジナル設問設計、アンケートデータ収集、データ解析をNTTデータが担当しました。
筒井さん:既存の診断方法で使われている項目などを参考にオリジナルの設問項目案を作成し、ギャンブル愛好家とギャンブル依存に悩んでいる方へのアンケート調査を行った結果、4つの質問だけで愛好家と依存症者を高い精度で識別することができるという発見につながりました。1年以内のギャンブル経験で、この設問のうち2つ以上の答えが「はい」になる場合は、依存の疑いが出てきます。ちなみに、設問の頭文字から「LOST」と呼んでいますが、これは田中さんのグループに命名をしていただいたものです。
- Limitless:ギャンブルをするときには予算や時間の制限を決めない、決めても守れない
- Once again:ギャンブルに勝ったときに、『次のギャンブルに使おう』と考える
- Secret:ギャンブルをしたことを誰かに隠す
- Take money back:ギャンブルに負けたときに、すぐに取り返したいと思う
ちなみに、私自身も「愛好家」です。競馬もボートもパチンコもたしなみます。自分はギャンブル依存症ではないと自覚していたのですが、SOGSで調べてみると「問題ギャンブリングの疑い」に当てはまると(笑)。これはSOGSのスコアリングでは「病的ギャンブリング」、つまりキャンブル依存症の一歩手前の状態です。このように、私自身の実感としても従来のスクリーニング手法に疑問を感じるところがあったので、オリジナルなものを作りたいと思ったことが一つのモチベーションでした。
― このアイデアを聞いたとき、田中代表はどう感じましたか?
田中さん:まず、良い取り組みになりそうだと感じました。一方、木村さんたちはスクリーニングの設問をオリジナルで作りたいという強い想いがありましたが、研究的な観点から独自に作っていいものか疑問も感じました。そこで松本先生や森田先生に相談したところ、オリジナルで作るのであれば、きちんと研究をしてデータを取れば良いのではないかとアドバイスをいただきました。
先ほど話に挙がったSOGSは、質問事項が多く点数式に回答できないものもあり、あまり手軽ではありません。他方、DSM-5は医師が診断のために使うもので、信頼度と妥当性は研究で証明されているものの一般向きではない。そこで、これらをベースに新しい質問事項を作って、その妥当性を確認できたら良いのではないかということになりました。
この取り組みで一番衝撃を受けたのは、やはり結果が出たときです。たった4つの質問によって高い精度でギャンブル依存症者と愛好家を識別できるという研究結果が出たとき、「これは画期的だ」と感じたことを覚えています。最初にアイデアを聞いたときにも大きな可能性を感じましたが、実際結果が出たときには本当に驚きました。そして、日本アルコール・アディクション医学会において、年間で最も優秀な論文に選ばれる(注3)という高い評価もいただくことができました。
注3)一般社団法人日本アルコール・アディクション医学会の第25回(2018年)優秀論文賞に選出されました。
木村さん:研究成果は LINEを活用したセルフチェックツール として提供されています。さらにこのツールでは、依存症に関する豆知識や毎日のひとことメッセージの配信なども行っています。メッセージ配信時刻を朝型の人は朝9時、夜遅くまで働いている人は20時というように自分で設定でき、さまざまなライフスタイルの人に使ってもらえるよう、そして、ギャンブル依存症問題の啓発につながるよう工夫しました。少しでもギャンブル依存でお困りの方のお役に立てるよう今後もブラッシュアップしていきたいですね。
「LOST」誕生に不可欠だった調査フィールドとのコラボレーション
― スクリーニングの質問項目を作るにあたって苦労した点はどこですか?
筒井さん:研究としてきちんとデータを取り、統計的に新しい仮説を確認しなさいというコメントを先生方からいただいたとき、そのデータはどうやって集めるのか?正解データとは何か?という点がぶつかった壁でした。
どうすれば、そしてどんなデータがあればギャンブル依存症とそうではない普通の愛好家を判別できるのかという悩みを田中さんにご相談したところ、田中さんが代表を務めるギャンブル依存症問題を考える会や自助グループの活動に通われている方にアンケートをお願いできることになりました。実際にギャンブル依存という診断を受けたことがある方のデータを分析させてもらえることになったのは、まさに田中さんとのコラボレーションのたまものです。
田中さん:当時、同じような企画を考えていた他グループでは、私たちの取り組みほどのデータ・結果が出せていませんでした。なぜかというと、調査のフィールドがないからです。ギャンブル依存症者のデータを相当数集めることができなかったため、SOGSなど既存のスクリーニングツールとの有意差が出せませんでした。
私たちの取り組みが画期的な点は、ギャンブルを全くやってない人と依存症者の比較ではなく、筒井さんのように愛好家としてギャンブルをたしなむ人と依存症者の差は何なのかという視点です。一般の人とギャンブル依存症の比較ではものすごく差が開いてしまい、多くの人がギャンブル依存症との判定になってしまいます。ギャンブル愛好家とギャンブル依存症者を簡易に識別する初めての研究結果だったので、たくさんの方にこの研究を評価していただいたのだと思います。これはこのチームでしかできなかったと思います。
― いわゆるマーケティングリサーチとは全く異なる取り組みだったと思いますが、何か気をつけたり工夫したりしたことはありますか?
筒井さん:アンケート項目の作り方として、SOGSとの比較分析がしやすいような設問設計という点は工夫しました。SOGSというベースがありましたが、愛好家とギャンブル依存症者で有意差が出る項目がどこかというのも手探りでわからない状態だったので、バリエーション豊かに設問を作る点も意識したところです。このため答える方も大変だったと思いますが、設問項目で抜け漏れがないようにという点には気をつかいました。
木村さん:LINEで気軽に回答するというアイデアと、アンケート方法の工夫は当社の知見をうまく活かせたと考えています。アンケート取得方法については、ギャンブル依存症者向けは田中代表に力を借りた一方、ギャンブル愛好家向けは私たちが普段マーケティングで使うWebアンケートを用いました。世の中から候補者を集め、今回の条件に合う公営競技やパチンコ経験者をその中から抽出し、その人にだけ今回のアンケートに答えてもらっています。
優秀論文賞を獲得し、学会から大きな反響のあった「LOST」の発表
― 対外発表後の反響の大きさを実感したエピソードを教えてください。
田中さん:まず、日本アルコール・アディクション医学会での発表の時に非常に大きな反響がありました。
田中さんが語る、学会発表時の臨場感、そして学会前夜の「LOST」誕生秘話は動画でどうぞ!田中さん:自治体や省庁など、さまざまな方からLOSTを使いたいという声を多くいただいているのは、このLOSTがギャンブルという産業全体を否定するものではないからだと思います。適切に楽しめれば問題ありませんし、収益面で国や地方自治体に貢献する側面もあります。ギャンブルそれ自体を否定するものではないということで、非常に使いやすいという声を多くいただいています。
デジタル技術の力で、便利で安全に楽しめる産業をサポートしていきたい
― 田中さんの活動において、今後デジタル技術に期待することは何でしょうか?
田中さん:今後も取り組みたいと考えていることが色々とありますが、2つほど挙げたいと思います。
ひとつめは、先ほども挙げた調査フィールドとデジタル技術をうまく活用して、ギャンブル依存症の回復支援に貢献することです。全国各地の自助グループの仲間や、医療・プログラムとしてどんなことが行われているなどのデータは大変な強みだと思っています。これらのデータを使って、さまざま接点からチャット形式などで質問を受け、適切にお答えするようなことが実現できそうと考えています。
もうひとつは、ギャンブル依存症が他人事ではないという意識を広げ、もっと社会全体で取り組んでいくためにデジタル技術を活用することです。例えば、一般の企業向けに、ギャンブル依存症予防やギャンブル依存症者が社内にいたときの対応の支援、またリスク因子の早期発見につながる情報提供や研究をしたいと考えています。企業の中で横領などの事件をきっかけにギャンブル依存症が明らかになる事例もありますが、そういった事例ではお金の貸し借りにルーズになるなど予兆となる行動がみられています。リスク因子を社内で簡単にチェックしてもらえるようなことができないかなと考えています。
ギャンブル依存症は誰かに相談すること自体が非常に高いハードルです。個人での相談も近所にばれるのが嫌だ、と言ったハードルがありますが、企業の中での相談は社会的信用や雇用関係を考えるとそれ以上だと思っています。その点では、私たちギャンブル依存症の専門家だけでなく、NTTデータさんなどのデジタル技術の力で貢献していただける部分があると期待しています。
筒井さん:セルフチェックに踏み出そうとしてない人や、相談にハードルを感じている人でも安心して使える仕組みを提供するなどの点は、デジタル技術の力が手助けできる部分になりそうですね。
― LOST以外での取り組みなど、今後NTTデータとしてどういった活動をしていきたいですか?
木村さん:今回ご紹介した取り組み以外では、2019年にJRAさんと一緒にレース場の入場者を顔認証で識別する取り組みを行いました。これは国が進めるギャンブル依存症対策推進基本計画に基づくものです。この件に限らず、産業が必然的に抱えざるを得ない問題に対して、少しでもそれを軽減・抑制して、さらには治療にも繋げるためのお手伝いをしていきたいと考えています。これから、日本ではIR(統合型リゾート)事業が進んでいきますが、こういった新しい産業にも我々の取り組みは貢献していけると考えています。
筒井さん:私はいちギャンブル愛好家としても、レジャー産業が健全に発展してほしいなと思っています。現在、ユーザーにとってギャンブルには非常に触れやすい環境になっていると感じます。スマホですぐにレースが見られて、現場に行かなくてもオンラインで投票ができる。さらに今後はキャッシュレス化が進み、これからもっと簡単に投票ができるようになるかもしれないという世界が来ていると思います。
レジャー産業のお客さまと会話をしても、儲けとは一線を引いて業界を健全に発展させなければいけないという強い想いを持っていらっしゃいます。ぜひそういう面で田中代表など専門家のご意見を伺いながら、ただ単に便利にするだけではなく、安全に楽しんでいただけるよう、我々はデジタル技術の力でご提案やサービス提供をしていきたいなと考えています。
田中さん:ギャンブル以外もさまざまな依存症対策はありますが、言葉は良くないですが手前味噌のものも多い。企業が独自で考えているなど、科学的エビデンスに基づかないため評価が難しいのです。企業と我々のような専門家が協力して対策を作り、かつそれを学会などの公式な場で評価するようなエビデンスに基づいた依存症対策がすごく大事になると思います。NTTデータさん始め、みなさんにもそういった点に目を向けていただきたいと思います。
また、マイノリティも実はマジョリティで、7割の人が何らかのマイノリティだと言われています。ギャンブル依存症に限らず、社会の諸問題に企業が協力いただくことで社会が少しずつ良くなり、取り残されていく人たちが少なくなるのではと期待しています。これからも今回のような取り組みが広まってほしいなと考えています。
木村さん:デジタル技術の力で社会の仕組みを作り、社会を良くするというのが当社としてもやっていきたいことで、今回はとても良いコラボレーションをさせてもらえたと思っています。今回の取り組みはとても当社単独でできるものではありませんでした。回復支援の専門家の田中代表、そして医療の専門家である松本先生・森田先生にもご協力いただいたことで、業界を超えたコラボレーションがうまくできたことが、今回うまく成功できた鍵です。
新しい取り組みにおいても、NTTデータだけで考えるのではなくて、さまざまな方を巻き込んで、コラボレーションしながら新しいチャレンジをしていけたらと思っています。
【役職と所属は記事公開日時点のものです】